くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

障害について「見えない」ことと「見ようとしない」ことの違い【18歳のビッグバン】



 早速本題の書評に移るとします。



 目に見えない障害を赤裸々に語る著述が、決して背伸びもせず、かと言って軽妙に伝えるのでもなく、等身大にありのままを書いてあるのが、読みやすい文章であるにも関わらず印象に残りやすかった。また自分から見て同じ目に見えない障害を抱える身としても、マイノリティならぬマジョリティに「こう伝えたいのに」と普段思っていることを著者は伝えてくれているようで、僕にとってもそういった意味で励みになった。

 個人的には親友の中澤さんや中邑賢龍先生のような周りの方々による著者への強い信念や交流に涙腺が緩んでしまった。近年発売された障害を持つ方の作品のベストセラーと言えば「五体不満足」が有名だが(それほど近年でもないか……)、僕のような目に見えない障害を持つものにとって、本書はむしろ10代の頃に出会った「窓際のトットちゃん」を読んだ時のような感覚を思い起こさせてくれた。

 少し話は逸れるが、障害の有無に関係なく、人には何らかの可能性がある、と人は言う。特に最近では、「◯◯障害は天才と呼ばれる人物が多い」などという言葉が一人歩きしている始末。それが正しいかどうかは別にして、僕は日頃より思っていることがある。それは「偉大な事を成し遂げた人は、必ずその支えになってくれている人がいる」ということだ。《坂本龍馬、スティーブジョブズ長嶋茂雄など、アスペルガーで天才と言われる人物はそれぞれの人生において大きな支えになってくれている人が大勢いる(一人ずつ例を挙げれば、それぞれ武市半平太、スティーブウォズニアック、砂押邦信など)》。

 本書の話に戻ろう。
 センター試験の制度をはじめとした教育現場の制度にメスを入れたこと、DO-IT Japanのリーダーとして現在もご活躍されていることは、著者の才覚や弛まぬ努力によるものであることは疑いの余地がない。しかしそれと同時に、信頼出来る人々や先生など、多数の方による支え合いがあって互いに生きていく原動力になっていること、そしてそれが誰の人生において何より大事なことであることを、改めて再確認させられた。


 しかし、見えない、気付かないのではなく、「見ようとしない」ことで突き放す人が非常に多いのもまた事実。

 
 本書の腰巻にも書かれてある言葉が、僕の身にも突き刺さる。
 「あなたも私も見えない『何か』を抱えている」

 障害云々に関わらず、もしその「何か」というのがその人の個性だったら、それをみようとすることを拒否することは、その人の人格全てを否定するに等しい。

 著者の患う広範囲脳梗塞という病がどれほどのものか、それを肉体の健康な人間が100%受け入れ、体験することは不可能に近い。
 しかし著者及びアメリカのDO-ITが提唱する「合理的配慮」というのは、そのような善意ではなく、「障害者の困難に対する当たり前の配慮」を指す。
 それはもちろん、障害者本人だけでなく、配慮する側が過度な負担とならないようにする意味合いも含まれている。

 何も難しいことはない。
 健康な人は電車の中で座るな、と言いたいのでもない。

 自分を理解すれば人も理解できる。そこから始めればいいのだから。
 
 本書にはそのようなさり気なさといった描写が随所に散りばめられていてーー決して押し付けがましいメッセージを訴えるのではなくーー何か大事な事にフッと気づくように、一人でも多くの誰かに、自分と他人を理解出来る一助になれる蓋然性を秘めている思う次第である。