くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

エスプリと厭世観が交錯する【カフカの恋人たち】

カフカの恋人たち
ネイハム・N・グレイツァー
1998-04-01

 この本は、【カフカの恋文】と改題しても十分にその意図が伝わる。

 カフカはよく手紙を書いた。
 愛する女性に、想いを、自分の感情を綴るため。


 カフカと言えば、何故【変身】を喜劇と思いながら書いたのか。
 【城】ではいつになったら城にたどりつくのか。
 そもそも何故ここまで不条理に徹する作品が多いのか。

 ストーリーを追うだけでは何が書きたかったのかよくわからない・・・


 読む前も読了後も、そのような何とも言えない余韻を残す。
 それはひとえにカフカの人生への厭世観や、世の中及び人生に対する皮肉をユーモアや機知にのせて、独特の文体で書かれているからだと思う。

 カフカが恋人に当てたラブレターや近況報告も例外でなく、特に二度の婚約に至ったフェリーツェ・バウアーへの手紙は、その数も膨大且つ表現の幅の広さが印象的だ。

 ここにその文例をあげるのは、あまりにももったいなさすぎるので取り上げないが、カフカの自分自身への評価を交えた部分を伴う心証を探れそうな描写を一つだけあげてみる。

「(カフカは)ふつうの意味での病気ではなく、むしろもっと悪い意味で、“むしばまれている”のでなおのこと落ち着かず、散漫で生気がない。きみはぼくに苦しみ、しかしぼくを我慢してくれる。それがまたぼくを苦しめる」

 カフカは心身共に病んでいた。ペシミスティックでヒポコンドリー(心気症)で最期は結核に倒れる。それでいて尚且つ、表現も文体も生き方さえも現代の世界文学の礎を作ってきたといっても過言ではない。
 単純な創作そのものだけでなく、創作者としての道標を示すかの如く、彼は様々な形でペンをとった。
 それと同時に、恋人への手紙を書きながら、その自分自身を吐露し、最終的に病身を理由に自ら身を引いた。
 その理由の一つが、身体の病に留まらない精神や心情の弱さという理由による自己判断であることは、想像に難くない。

 フェリーツェの友人であるグレーテ・ブロッホ宛の報告の中では、カフカの心情が書かれている。

「フェリーツェは僕が好きだった。ただ僕たちの結婚には十分な理由とならなかった。共に暮らすべき将来に対して、彼女は強い不安をもっていた。ぼくの個性に耐えられないのではないか。ベルリンが恋しくなるのではないか。美しい衣服をあきらめなくてはならないのではないか。そういった事への不安。・・・と同時に、彼女はぼくに対してとてもやさしかった。ぼくたちは幸せな婚約者そのままに、もつれあって裏通りを歩いたものだ」


 カフカはそれ以前及び以後にも、数人の女性と関係を結び、恋文を書いているが、そのいずれも結婚には至らなかった。
 父親に認められなかったなど、周囲による反対というのも理由にあったが、彼自身の苦悩も本書で大いに読み取ることが出来る。


 最後に。


 もし今現在、好きな人がいてメールやライン、SNS経由でその想いを伝えたいという方がいらっしゃって、尚且つひと時の夢を見たいというのであれば、本書を読んだうえで、自分の気持ちを告白することをおススメします。

 相手はきっと心動かされるでしょう。
 あなたの魅力をきっとわかって下さるでしょう。

 そして最終的には失恋に陥るでしょう(←おい)