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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

村上春樹の名作短編【沈黙】


 村上春樹の長編やエッセイはわりと何度も繰り返し読むことがあるけれど
 短編の中ではこの「レキシントンの幽霊」に収録されている【沈黙】をよく暇なときに読む。(あとはパン屋再襲撃とTVピープルくらいかな)

 もし氏の著書を長編小説しか読んだことがない人が、この話を読むと、普段抱いている村上春樹の印象が少し変わるかも。

 いつも小難しいたとえ話やジャズやクラシック、高度な専門用語を出来るだけかみ砕いてはいるものの結局何を言っているのやら、そして射精する。そんなイメージを抱いている人は少なくないはず。エッセイなどを読んでいると、割と氏の俗物的な面も見れて面白いんだけどね。


 この話の主人公は、いつもの「僕」ではなく、語り手の「大沢さん」


 ボクシングの深みに捉えられ、二十年近くボクシングジムに通っているという大沢さんは、それを始めた中学生の頃、ふとしたことから一人の同級生の青木という男から言いがかりをつけられ、顔面を殴ってしまう。その後しばらくは何事もなかったが、青木は持ち前の悪賢さから、高校三年生になった時(中高一貫でその同級生とずっと学校が一緒だったという設定)同じクラスになった時、ある事件を利用し大沢さんを精神的に追い詰め復讐する。大沢さんは同級生や教師からも無視され、迫害され、徹底的に苦しめられる。
 ある日、学校に行く電車の中で、青木と目が合う。互いに一言も喋らず、青木はどうだ、と言わんばかりに無言で大沢さんをじっと見続ける。その時大沢さんもまた無言のまま、感じる。(人はこの程度の事で勝ち誇ったり得意になれるのか?この男はそんなことで本気で満足しているのか)と。互いの沈黙が続き、電車が次の駅に辿り着いた時まで、大沢さんは感じた。青木の目が微かな震えを感じていることを、自分にはこんな男に引きずりおろされるわけにはいかない誇りをもっていることを。



 大まかな語り手によるエピソードはこんなところだが、この話の胆は、一つ一つのフレーズにある。

「人はあらゆるものに勝つわけにはいかない、人はいつか負ける」
「自分が軽蔑し、侮辱するものに簡単に負けるわけにはいかない」

 極めつけは

「怖いのは青木のような人間ではなく、そのような人間の言い分を無批判に受け入れて、踊らされ集団で行動する人間であり、彼等は自分が悪いことをしているなどこれっぽっちも思っていない」


 人間、一つのものを極めるのは難しい。

 そのものがもつ深みというものを理解すればするほど孤独を感じ、またどんな人物であろうと人生の辛さを克服することの苛烈さから逃れることは出来ないからだ。


 だが、あらゆるものがもつ深みに魅され、生きていける人がいることもまた事実。


 この物語は(おそらく)全くの創作であろうが、どんな形式であれ強さや強烈な経験をしてきた人の話というのは、実に興味深く、人を奮い立たせ、血沸き肉踊らせる。


 本当に読み終った後にビールが飲みたくなるくらい、僕は僕自身そういう人間からはほど遠いことに辟易してしまう事もある。