くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

軽々しく苦手分野を押し付けられる⁉︎【発達障害でつまずく人、うまくいく人】


   吾輩はくまである。名前はちゃんとある。
  じゃあ何故自分をそう呼び、プライベートでもネットでもそう呼ばれてるのか?

 それは動物園の熊のように落ち着きがなく、大人しそうだったり気性が荒い部分があったりするから・・・

 そして大人になってから知る。自分のそのような性質は発達障害の特徴の一つによるものだということを。



 はいっ……という訳で今日はこれっ!


発達障害でつまづく人、うまくいく人】



 理解で人と人が幸せになれるのは、もちろん障害者とのコミュニケーションに留まらない。

 つまり障害そのものを理解するのではなく、その人自身を理解することが大事だと思う。

 本書は、「つまづく、うまくいく」、というのは当事者のみならず、周りの人の事も含むのだな、ということもよくわかる良書だ。

 一般常識の認知力の低さ
 周りとの言動のズレ
 言葉の裏が読めない

 本書がそのような自分、及び身近にいる発達障害を抱えている(もしくはそれらしき)人を相手にするのに、生活面で少なからず助けになることが“書かれてある”。



 さて、ここからは発達障碍者(←フツーに「はったつしょうがいしゃ」とスペースキーで変換するとこんな漢字で出てくる。割とどうでもいい配慮ですね)の当事者として、普段から僕の言いたいことを書かせてもらおう。


 この本には、発達障害で悩んでいる人自身にとって生きていく上でどのように行動し、対処していくか、ということも記されている。

 例を挙げると

「人間関係のルールを守る」
「感情をコントロールする」
「身だしなみを整える」
「エチケットを守る」
「職場では優先順位をつける」


(そんな、当たり前のアドバイスが)


・・・・・・


 などと思わないで下さい。

 当たり前の事?
 果たして、健常者の中でも、それら全てを守れる人が果たしてどれだけいるのか?


 普段から一般生活に想像を絶するほど莫大な苦労をしているというほどでもない健常者(いわゆるマジョリティ)は、上記のいわゆる「当たり前の事」を守れなくても、知識や経験から学び、どこかでつり合いを取ったり器用に立ち回ったりして、人生をやりくり出来る(得意な仕事で汚名を返上する、空気を読んで相手をなだめる、など)。
 しかし発達障碍者はそれが難しい。難しいからこそ問題が表面化し、悩む人が年々増えてきている。
 つまり、幼稚園、保育園及び義務教育や高等教育で学ぶようなこと全てを遵守し、努力し、行動しても、結局発達障碍者は普通の生活を送る上ではマジョリティの足元にも及ばない。
 私はこの本に、ではなく、そのような現実に憤りを感じる。

 目に見えない人に「目を凝らしてよく見ろ!」と叱る人はいない。
 足が不自由な人に「すぐに走って行ってこい!」ときつく言う人はいない。

 しかし、マジョリティは目に見えない精神障害者に対しては言う。

 遺伝や脳機能、社会的評価の影響などにより障害者という烙印を押された彼らに対して

「相手の気持ちを考えろ!」
「お前には常識がないのか!」
「人の二倍努力しろ!」
「社会人としての責任を全うしろ!」



 結局のところ、単なるノウハウだけでマジョリティとマイノリティが分かり合えることなど不可能なのである。

 もう一度言う。
 理解すべきなのは、発達障害の特徴そのものだけではなく、周囲に存在するそれぞれの当事者一人ひとり。


 本当に、はっきり言わせてもらうと
 単なる興味本位や一般教養としてならまだしも
 健常者の中で、周囲の発達障害に悩まされていてなおかつ問題を解決したいという人がいるのであれば、本やネットで軽々しく知識を得てそれだけにとどまるのではなく、その人自身ある程度以上の覚悟と気概をもって正しい接し方を更に学んでほしい。
 

 例えて言うなら
 目に見えない人の気持ちを分かるために
【視覚障碍者と上手く接する本】
 という“点字で”書かれた本を読む、ということと同じくらいの覚悟で。