くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

ジョセフ・コンラッドが伝えたかったこととは?【闇の奥】

 最近このブログで、寓話を紹介する機会が増えている。すなわち、物語が読み手に多種多様な思想や感想を与え、教えを受ける作品といったものを。

 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

 ジョセフ・コンラッドの代表作【闇の奥】

 あらすじ(Wikipediaより引用)
ある日の夕暮、船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに若い頃の体験を語り始める。

マーロウは、各国を回った後、ロンドンに戻ってぶらぶらしていたが、未だ訪れたことのないアフリカに行くことを思い立ち、親戚の伝手でフランスの貿易会社に入社した。ちょうど船長の1人が現地人に殺され、欠員ができたためだった。マーロウは、船で出発し、30日以上かかってアフリカの出張所に着いた。そこでは、黒人が象牙を持ち込んで来ると、木綿屑やガラス玉などと交換していた。また、マーロウは、鎖につながれた奴隷を見た。ここで10日ほど待つ間に、奥地にいるクルツという代理人の噂を聞く。クルツは、奥地から大量の象牙を送ってくる優秀な人物で、将来は会社の幹部になるだろうということだった。マーロウは、到着した隊商とともに、200マイル先の中央出張所を目指して出発し、ジャングルや草原、岩山などを通って、15日目に目的地に着いた。

中央出張所の支配人から、上流にいるクルツが病気らしいと聞いたが、蒸気船が故障しており、修理まで空しく日を送る間に、再びクルツの噂を聞く。クルツは、象牙を乗せて奥地から中央出張所へ向かってきたが、荷物を助手に任せ、途中から1人だけ船で奥地に戻ってしまったという。マーロウは、本部の指示に背いて1人で奥地へ向かう孤独な白人の姿が目に浮かび、興味を抱いた。

ようやく蒸気船が直り、マーロウは支配人、使用人4人(「巡礼」)、現地の船員とともに川(コンゴ川)を遡行していった。クルツの居場所に近づいたとき、突然矢が雨のように降り注いできた。銃で応戦していた舵手のもとへ長い槍が飛んできて、腹を刺された舵手はやがて死んだ。

奥地の出張所に着いてみると、25歳のロシア人青年がいた。青年は、クルツの崇拝者だった。青年から、クルツが現地人から神のように思われていたこと、手下を引き連れて象牙を略奪していたことなどを聞き出した。一行は、病気のクルツを担架で運び出し、船に乗せた。やがてクルツは、"The horror! The horror!"という言葉を残して息絶えた。

 

 本書は、古典文学としては比較的わかりやすいテーマを掲げている反面、様々な解釈が可能な、寓話的要素も含んでいる小説であるように思える。それはひとえに、クルツの最期の言葉「"The horror! The horror!"」(黒原敏行訳だと「恐ろしい! 恐ろしい!」)、この今際の際に発された言葉が、読んだ者全てに多種多様な想像力を働かせるからだ。
 【闇の奥】原題は「Heart of darkness」。【闇の心臓】【闇の心】とも和訳出来そうなタイトルだが、闇の奥とはアフリカの奥地のことをも表している。つまり訳の時点で多くの解釈が可能であり、先述の通り寓話的要素をのっけから差し出してくる。
 文化の行き届いた国と、植民地支配の国の奥底。そこで見た主人公マーロウとクルツが抱いた真実は、果たして同じものであっただろうか。登場人物すらも各々の立場、見方、境遇から様々な思いを抱いたまま、物語は終焉を迎える。まさにこの小説の主張の真相こそ闇そのものとも言えるのだが、白人至上主義とアフリカの奥に存在する未開の地及び差別・階級意識。こういったものが、いつの時代にも通用するテーマになっているくらいに、全体主義、支配、差別というものを主軸に動くテーマが躍動するほどに、人間はいつの時代も変わらないものなのだろうか。
 きっとそうなのだろう。真実を書いても、それぞれにとって都合の悪い点を光で照らしても、史実や人の感情は簡単に捻じ曲げられてしまう。実際、この小説に影響を受けたとされている、村上春樹の「羊をめぐる冒険」ですら、読み手によって様々な解釈を生み出した。つまり、寓意だ何だと言っても、この小説そのものが人の心の闇を書いたのではなく、読む者がこのような物語を自分の中で意味を勝手に産み出すのだ。それも自分に都合の悪くなりすぎない程度に。
「今のアフリカがどうしてこんなに混沌としているのかがわかる」
「未開人の恐怖と白人の責務を書いている」
「白人に留まらず人間の原罪を問いかけた話」
 など、あらゆる解説やサイトを見ても、その感想や結論はバラバラだ。もちろんどれも間違っていない。
 しかし、世界を内包する光と闇が、人間の心そのものと変わらないものであるとしたら、それこそ人間が作り出した光と闇というものは、何と自分勝手なものでしかないのだろう、と私は思う。

 

 コンラッドがこの小説をもって何を伝えたかったのか、真意は何か、ということは、わからない。だが一つ確かに言えることは、「人は、本当の意味での自分の心の闇の奥底を覗こうとはしないし、出来ない」ということである。
 かく言う私も、この本を読んで世界や人類といった曖昧な悪を考えさせることは出来たが、自分の心に存在する“都合の悪い部分を含む”闇の奥を覗こう、とは思わなかった。