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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

【村上龍:編】薄ぼんやりとした透明な恐怖作品集【魔法の水】

    この作品集は、現代ホラー傑作選第2集(現代、とは言っても20年以上前に上梓された本だが)と銘打って、村上龍氏によって選択された、9人の作家の9つの短編を纏めたものである。

 

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

 

 

 

村上春樹:【鏡】
山田詠美:【桔梗】
連城三紀彦:【ひと夏の肌】
椎名誠【箱の中】
原田宗典【飢えたナイフ】
吉本ばなな【らせん】
景山民夫【葬式】
森瑶子【海豚】
村上龍【ペンライト】

 

     個性的な作風の作家による短編で占められており、すべてをまとめて“現代風”という解釈で済ましてしまうのは、強引かつ抽象的に過ぎるが、一つ共通する部分がある。

    それは「透明感」である。
    村上春樹氏の【鏡】、山田詠美氏の【桔梗】、吉本ばなな氏の【らせん】、村上龍氏の【ペンライト】が特にそれに当てはまり、その「透明感」は、他でもない「人間が抱く恐怖心」によって人間が作り出した、奇妙な感覚を見事に表現しているのである。
    幽霊や妖怪は出てこない。が、知人が死ぬことや事故、猟奇的な顛末、こういったものにおいては必ずしも非現実的なものではない。現代の人間だからこそ「もし自分にこういうことがあったら」という、逃れることが叶わず、対処も出来ない透明な恐怖に、普段から我々は苛まれている、という表現を見事に描写している。
    景山民夫氏の【葬式】のように、幽霊が出てくる話もある。しかしそれも、スピリチュアリズムとかそういった類のものでなく“あくまで自然に”出現”し、この現代を生きる我々の意識の延長線上にのしかかってくる。科学文明が発達していない昔であれば、妖怪や幽霊が大手を振って人々を怖がらせていたのだろうけれど、それらも結局のところ人間の恐怖心が生み出したものであり、この本に載っている短編はみな、ほんの少し手を差し伸べただけで自分も巻き込まれる世界に誘われる、そんな錯覚を抱かせる。

    また、最後の村上龍氏の解説の文が秀逸である。


「恐怖が想像力によって引き起こされる。想像のないところに恐怖はない」
(恐怖というものを想像する時に)一人きり、というのは絶対に欠かせない要素である」
「小説は、ホラーに限らず、読者の想像を刺激しつつ、書かれる」


    だが、この的を射た言葉の数々をもってしても、人間が恐怖心に負けない意識を持つことは不可能だし、むしろ想像によってより強く引き立てられる。
    だから、“恐怖”や“奇妙”といったジャンルは、いつの世も魅力的なのだ。
    心理学用語で「接種理論」というものも我々の恐怖に密接に関係しているものと言える。例えば、予防接種の注射を打つ前に、注射の痛みを強く想像したり、自分で腕をつねったりした経験はないだろうか。つまり、恐怖を感じる前に、自らその怖さを体感しておくことによって、本当の痛みや恐怖を和らげようとする心理である。

     もう一つ言うと、この平和な日本では、一人きりで部屋の中にいても、外部から突然恐ろしい目に遭わされたり、また外での日常生活の上でいきなり言いようのない悲劇に襲われる可能性は、それほど高くない、が、ゼロではない。その「ゼロではない」というところが、我々の恐怖心からの想像力をより掻き立て、人間の意識に重きが置かれた「薄ぼんやりとした透明感のあるホラー」というジャンルが成立する。

 

    本書は、ありそうでないのに、なんとなくあるものとして感じられてしまう、現代を生きる人の恐怖心を八方からかきたてようとする、そんなホラー小説集。。。