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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

「くそくらえ」なんて言いながら叱咤激励する究極のツンデレ(違)

 人生なんてくそくらえ、と言うからには、よほど厭世的な本かと思いきや、実は非常にインパクトの強い言葉で、ありとあらゆる事物に対して叱咤激励しているのが、この本。

 

人生なんてくそくらえ

人生なんてくそくらえ

 

 



    私がこれほどまでに強いメッセージ性と激しい口調で世の中に対する憤りを浴びせている本を読んだのは、松本人志の【遺書】か、中島義道の【私の嫌いな10の言葉】以来かもしれない。

    本書は、丸山健二氏による、今の日本における数々の“批判対象”にされている(されやすい)ものを徹底的に攻撃している。
    子供を甘やかす親、成人しても家を出ない子供、原発事故、既得権益者、甘ったれた人間、最初から安定した職種に就こうとすること、テレビゲームに嵌る人、宗教、国家、その他。更には、女性や日本人そのものといった、あまりに偏った見方で批判している点もある。
    確かに、いくらなんでもこの本は攻撃的で私怨が多くて極端だ。「勤め人になると判断して決めつけるのは問題だ、大問題だ」「宗教は悪そのものだ」「お人好しは愚者の代名詞にほかならない」「女は弱い」。あまりに極論すぎて、読んでいて「一体この作者は誰と闘っているの?」と思ってしまうほどである。そりゃあ、世の中はいつも正しい訳ではないし、生きていれば不満や憤怒に溢れることもあろうが、一体ここまで著者を怒らせるものは何なのか。少なくとも、最近この著者の作品を読み始めた私としては、検討もつかない。
    上記に書いたように、勤め人に対してやたら攻撃的なのもちょっと無視できない。近年だとイケハヤさんやホリエモンなどにも同じことが言えるが、会社に勤めている人や、多種多様な仕事をしている人のおかげで今現在の自分がいるということを理解していない人の声がでかい社会の方が、ある意味では問題だと私は思う。缶コーヒーのCMのフレーズではないが、世の中は誰かの仕事で成り立っている。十把一絡げに「この仕事がーー」「あの人間がーー」と言うのではなく、今自分が存在出来ている理由や根拠を、ちゃんと考えられない人が増えているのは、こういった「自由業で成功出来ている」人間達の声が大きすぎるのも影響しているせいだとも、私は思っている。それこそ中島義道氏が言うように、自由業で、且つそこそこ成功していて、それでいて尚且つ傲岸不遜な人間に対して私はこう言いたい。「あなたが成功出来たのもかなり“運”の部分もあったんじゃないですか!?」

    しかし、個人的に納得できる部分もある。そう思った、本書の言葉を一部抜粋してみよう。


「親というのはかくもいい加減な存在なのだ」
「親は泣き言の名人だということをくれぐれも忘れてはならない」


     これは全くその通りだと思う。世間や日本の、と言うより、そもそも“人間の”親というのは、あまりに子供というものを甘やかしすぎる。子供と言えども、この世を死ぬまで必死に生きていかなければならない他人なのだ。親の分身ではない。そこを勘違いしてしまうのは、もはや人間の性なのか、と言えるほどに、子供を甘やかすか、逆に非道い目に合わせる、もしくは無関心にするなど、あらゆる意味で子供を自分のエゴの対象にする親が多いこと! そこを踏まえて作者が人間の親というものを批判しているのであれば、(正論とまでは言わないが)ぐうの音も出ないほど同感だと思わざるを得ない。


 「支配されたがっている人間が多い」


    おっしゃる通り、権力を持つ者によって支配されたがっている人間はよく見かける。私はそれ自体は悪いとは思っていないのだが、支配されたがっているようにしか見えない癖に、社会や公務員など権力側を批判している人間は、御門違いとしか言いようがないのではないか。私の考えだが、もし社会に何か文句や批判があるのであれば、実際に“行動”することによって自己をアピールするところから始めるべきだと思う。それも全部込みで、文句を言いつつも支配されたり搾取されたりするのに快楽を得ているのであれば、その限りではないが。


「生ける屍をめざしてどうする」


    生きているのか死んでいるのかわからない人生ほど恐ろしいものはないと思う。それに対して恐怖を抱ける段階であれば、まだ正常と言えるが、中には洗脳されているが如く支配されたりゾンビのように何か大きな力に動かされているだけのような人間もいる。正直言って、私はそういう人間は怖い。己の持論やポリシーや行動基準、動機を持っている人間なら対等に話し合えるが、実際何のために自分という存在が生活しているのか、ということを真剣に考えていない人間は、恐ろしい。何故なら、そういう人間に限って、自分の生活態度や思考を少しでも批判されると、何か力強い物やしょうもない事例を掲げて自己を正当化するからだ。虎の威を借る狐とはよく言ったもので、そのような「生ける屍」こそ、何か大きな力によって人に噛み付いたり攻撃しようとしたりする。そういう人間が、例えば今の日本でどれくらいいるのかは知らないが、確かによく見かける。本書のこの言葉は、しっかり自分の考えと主張と自由への責任を背負って生きることの大切さを教えてくれた。


「人生なんてくそくらえ」


    まさにタイトルそのもの。先述の通り、本書はペシミスティックにただ吠えている訳ではなく、力強く生きていくための逆説的な考えでもってこう叫んでいるのであって、そのように前を向いて生きるために「人生なんてくそくらえ!」と叫びつつも、私自身も生きたいと思う。人生は理不尽過ぎることが多いし、本書もまたまともな文もある反面理不尽なことばかり書かれている(汗)。しかし、この世に生を受けたからには、天寿を全うするまで、こう叫びながらも生きていくしかない。

    怒りや毒舌を吐きながら、人生に対する指南を与えてくれるツンデレ本(違うって)