くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

社会背景や人間の弱さでなく、1人の女の一生を淡々と書いた小説【ソーネチカ】

 

 

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 舞台は1900年代前半から半ば頃のロシア(ソビエト)。


 幼少の頃から本が大好きということ以外に何の特徴ももたず、特別な容姿や才覚にも恵まれていない主人公ソーネチカ。やがて図書館専門学校を卒業し、古い図書館の書庫で働くようになる彼女は、ある日、病気で欠勤した主任の代わりに、図書館の貸し出し係をつとめる。その際に、反体制的な芸術家、ロベルト・ヴィクトロヴィチが現れて見初められ、やがてプロポーズされる。
 結婚した2人は、スターリン時代のロシアの流刑地を移動しながら、慎ましくも幸せな生活を送る。2人の間に生まれた娘、ターニャが大きくなり、ある日ターニャは自分が恋していたヤーシャという美少女を家に連れてくる。そこからソーネチカの人生の歯車が大きく狂いだしてくるが……


 本書は、当時の現代史の流れに沿って生きてきた女性の一生を綴っているが、そこで書かれているのは、ただの人物描写や社会問題ではない。

 「神の恩寵に包まれた女性の」と本書のキャッチコピーに書かれているが、果たして著者が伝えたかったのは、普遍的な愛や宗教的な慈しみなどであろうか? 

 物語の終局の場面。たとえ夫はじめ周りの人間に裏切られても「自分はなんて幸せだったのだろう……」と老いた身体でソーネチカは思う。ソーネチカがそこで感じ取ったものは、諦観やニヒリズムではなく、人間が感じることの出来る力強い幸せを、ごく自然に受け取った。ただそれだけではなかろうか。
 ともすれば、読者の中には、そんな卓越したソーネチカの自身の人生観を素直に受け入れることが出来ない人もいるかもしれない。ただ客観的に見れば、生まれも育ちも、結婚生活も良い巡り会わせが少なくて、生き抜いてきた。ましてや彼女は並外れた精神力や処世術を持っているわけでもなかった。それなのに、悪いことが続いても、理不尽さに見舞われても、彼女は自分の人生を呪わなかった。そんな主人公には、感情移入できなくても、無理はないという意見も否定は出来ない。
 つまり、この作品は、一人の人間が抱く自分の人生に対する愛を、主観的に書いた物語なのだろう。
 悟りを開いているのでもなく、大きな慈愛に満ち溢れているのでもないが、生まれ持った愛をそのまま享受し、生きてきたこと。それが彼女にとって全てだった。

 人間は自分自身の幸せというものについて考えると、何故だか他人の判断や周囲の人間の感性をアテにする習性がある。それは、人間が社会的な動物である以上、ある程度仕方のないことではあるのだが、現代の世の中で(特に、作中では当時のソビエトのような社会主義に見舞われた環境のさなか)、己を強く保ちながら幸せを感じ続けることのできる人が、一体“世界中で”どれほどいるのだろうか。ソーネチカのように「素朴である」ということが賞賛されたり、逆に疎まれたり、価値観も目まぐるしく変わるソサエティで、彼女は自分の一生を守り続けた。ただし無意識的に。
 本作は、良くも悪くも人生の無常さがにじみでているようで、絶望と希望の狭間に揺られながら、どちらにも傾倒しない女性の強さを、最初から最後まで書ききっている。作者は「当時の社会主義的な意識が嫌いで、自分が惹かれるのは、そういった意識の外にいる人たち、いわゆるアウトサイダー的な人だ」とも語っている。そこからこの、自分の人生の幸せを愛したソーネチカが生まれたのだと推測できるが、この作品の見所は、作者や読者が抱く虚構と、残酷な現実を行き来する意識そのものを、素朴さをテーマに描写したところにある。