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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

漫画【俺はまだ本気出してないだけ】から引きこもり問題を考えてみる

最近になって、テレビで堤真一さんを見るたびに思う。

「どうしてこの人はめちゃくちゃ格好いいのに、役者としては、不細工だったり冴えないおっさんの役を多くやっているのだろう?」

新しく始まったドラマ「スーパーサラリーマン左江内氏」に関しては見てないが、それでもやはり冴えないおっさんの役がある程度定着しているようだ。

 

まあそれはそれとして。

 

ちょっと古いけれど、私は堤真一さんの出た映画原作の中では、この漫画が大好きでした。

青野春秋氏の「俺はまだ本気出してないだけ」

 

俺はまだ本気出してないだけ コミック 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

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ただ何となく会社勤めをしながら、ダラダラと生きてきた主人公、大黒シズオ。彼は40歳にしてにして、何を血迷ったか漫画家を目指すべく突然会社を辞めてしまう。そんなシズオと、シズオに振り回される家族や友人を巡るコメディ。

この主人公のおっさんは、自分が何故漫画家になろうと思ったか、大した理由も理念も何もなしに、ファーストフード店でアルバイトをしながら漫画の投稿を続けるものの、小っこい新人賞に一度引っかかったきりでその後はまるっきり芽が出ず。

そんな主人公だが、家では年老いた父と、高校生の娘までいる。少なくとも一応自活は出来ている。親友もいる。後輩もできる。ただ、自分の将来を見据えていないというだけで、別に深刻なほど誰かに迷惑をかけながら生きているわけではないし(家族から金をせびるなどあまりよろしくない部分はあるものの)、それどころか自分でやろうと決めたことはちゃんとやっているし決して単なるろくでなしではない。ただ、ちょっと人より、迷ってしまっている部分が散見されるだけだ。

先述の通り、この漫画は数年前に連載されていた漫画なのだが、果たして、いつの世であったとしても、このおっさんを「現実を見てないただのダメ人間」だと罵れるだけの資格を持つ人間など存在するのだろうか?


そもそも現実を見据えている、とは何か?


例えば、ひきこもりの人達に対してもそうだ。外野(特に会社勤めの社会人)が「将来コイツはこうなってしまう」という懸念を抱くのは簡単だ。だけど、そう言う人間だって、この生きにくすぎる世の中で「とりあえず働いていれば何とかなる」などという幻想に近い観念を持ちながら毎日をぎりぎりで生きているというケースが非常に多い。

にもかかわらず、ニートやひきこもりのような「将来が不安な人」に対して、自分の心理をぶつけて好き放題言うのは、ちょっと粗暴な行為とも言えるのではないか。

人間、特に日本人は、「幸せはいつも自分の心が決める」などと言いながら、実際は、自分より生活能力が劣っている(もしくはほんの少しでも身近な人に迷惑をかけている)人間に対しては異常なまでに手厳しい。それは、今の世の中が不景気かつ先の見えない時代で、自分以外に対して余裕が持てなくなったのもあるだろうけれど、自分に余裕がないから人に辛く当たるというのは論理が逆だろう。余裕がないからこそ、人との付き合いが大切で、どんな人にでも笑いや勇気を与えようとする接し方こそが正しいのではないか?

そう考えると、この漫画の主人公は、理念や才能や甲斐性はないかもしれないが、少なくとも自分の人生に正直に生きていると言えるだけの素養はある。架空の人物ではあるが、現実世界にエンターテイメントを供給している。世間的な基準で照らし合わせた上でダメ人間に見えても、じゃあその世間の基準とやらがそもそも常に正しいのか? 答えはノーだと誰もが理解しているはずなのに、何故人は簡単に世間の尺度で自分や他人を測るのだろう? ニートやひきこもりといった問題は、そういう他人に対して眉を顰めることに対しては敏感な癖に、自分にとって都合の悪い部分に対して無関心な観念そのものが生んだ現象だとも言える。

ひきこもり問題はそういう意味でも、関係のない人なんていないのだ。ただ単に自分や家族がニートにならなければそれでいいというわけではない。その無関心さが巡り巡って、今の自分のストレスや生き辛さになって帰ってきていることを理解出来る人が少しでも増えれば、と私は思う。