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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

世界の貧困の問題とは? 日本の教育格差とは?【テクノロジーは貧困を救わない】

 

テクノロジーは貧困を救わない

テクノロジーは貧困を救わない

 

 



テクノロジーと貧困という題目になっている通り、この著者は、一貫して「利便さ」と「人々」の間にある認識や習慣といったギャップが、世界の貧困問題を解決していないという点を指摘し、問題を提起する。
著者である外山健太郎氏は、社会問題に対処することを目的としたテクノロジー、アイデア、政策、その他簡単に複製できる部分的な解決策を施すことを「介入パッケージ」と呼び、これが本当に世界の貧困を救ってはいない、ということを各種事例を用いて詳しく説明している。

 

ここで言うテクノロジーとは、パソコンやスマホや最新の技術というだけでなく、人間が利便性を追い求めてきたもの全てに対するメタファーとして考えれば、なるほど確かにテクノロジーが貧富の差をなくしてきた事例などない。
これが例えば、人々を幸せにしてきた、生物の命を救った、という事実ならごまんとある。だが、貧困というのは、それら最先端の人間の知性の塊が齎してきた良い結果ですら掻き消してしまう恐れがある、ある意味で最も厄介なものだ。
余談になるが、相対的に考えて、人間はより良いものや、自分の周りより良いものを求めるようになるわけだが、果たしてこのような欲望や虚栄心を持った人間こそが、今の社会で「相対的に」増えてきているのではないか? と私は個人的に思っている。

 

話を元に戻そう。


そして、今の日本でも、この貧困と利便性、そして後述する「教育」というものに非常に関連性が高い国であることは言うまでもない。

その前に、まずアメリカのデータを紐解けば、15歳以下の就学率は82パーセント、世界の富裕国上位33カ国と比べると格差が著しい。これは、デジタル・テクノロジーでは埋めることができない問題だ。もともと優秀な子供はウィキペディアから多くの知識を得るし、行動に問題のある子供は、ビデオゲームに気を散らされる。教育の機会を分配し能力を上げるのでなく、能力の向上そのものこそが教育なのであり、テクノロジーそのものは、貧富の差はもとより、能力面で持つものと持たざるものの格差を広げている。これは質の高い大人の教育によって分配されるべきなのだが、ノートパソコンがその役割を果たすことはあり得ない。

日本でもまた、毎日のようにニュースサイトで見るが、相対的な格差が広がり、それが教育に影響していることを、貧困の連鎖と呼ぶ傾向にある。その際に真っ先に挙げられるものの一つが、教育の水準だ。そこから更に、学歴、収入、機会の平等など様々なテーゼが繰り広げられていくわけだが、どういうわけかこう言った収入の格差などに代表される、「どのような能力が要求されるのか?」といった内容に関してまで触れられることはあまりない。
そもそも学歴一つとっても、例えば、私立の医学部は、貧困家庭の子供が入学出来るかといったら、絶対に不可能というわけではない。東大だって、親の年収が一千万円以上が多くを占める、と言っても、年収400万の家庭の学生だっていなくはない。社会や政治の問題点をやり玉に挙げて、「富めるものはますます富み、貧しきものは持っている僅かなものさえ持っていかれる」という思考に、我々は行きがちだ。しかし、わかりきったことではあるが、教育というのは当然偏差値の多寡が全てではないし、金持ちが幸せで貧乏人が不幸せ、と決まっているわけではない。そこで、本書の題目にある通り、テクノロジーと貧困の問題に絡んでくるわけだが、最新の技術や知識を持つことが必ずしもその人の相対的な幸福に結びつくかということに当てはまらない。こう言ったミクロな視点で見ても、この問題は当てはまるわけだ。

 

人の内面的成長として必要な「知恵の三柱」がある。それは「心(意図)」と「知性(判断力)」と「意志(自制心)」だ。本書では、この3つを兼ね備えていたと言える、貧困に加えて身体に傷を負ったとある少年が、ガーナ障害者連合という擁護団体で出世の階段を上っていった事例を挙げているが、これは当然、どこの国の人間でも同じことが言える。優れた教育というのは人を育てることであり、それは人が自分自身を成長させようとすることと同義である。教育格差はなくすべきだが、果たしてそれでは何が教育だと言えるのか? マスコミの流す情報からだと、短絡的に学歴だの収入だのと、浅はかな思考に帰結してしまう。我々大人が受け取る、このような即物的な思考そのものもまた教育の貧困の極致と言えるものなのだが、そのような歴史を、今後もまた繰り返し続けていっていいのだろうか?