くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

キーワードは「生死」【老人と海】

 

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

 

 

 

世界的に有名な文学作品なのに読みやすく、それでいて人によって解釈が分かれやすい作品というのも、意外と多くないのではなかろうか。

この【老人と海】は、筆者が高校生の頃読んだ時は「漁を人生に見立てた『敗北』の話」などと思っていた。

自分では、今でもその受け取り方は間違っていないと思っているが、30代になった今読み返して見ると、人生に敗北も勝利もない、ということに気づかされる。

 

筆者は若い頃、人間は死んだら全てが終わりだと思っていた。死というのはその生物にとって「永遠の無」を迎えることであり、いくら残された人がいても、その死んだ人間には、この生の世界で得てきたものを“何も感じられなくなる”。だから、通常、人間は死を恐れるし、拒否しようとする。人間は必ず死ぬが、どんな理由で死のうと、そこには敗北が付き纏ってくる。

病死、事故死、老衰、その他様々な理由で人は死ぬ。完全に勝てたまま永遠を迎えることのできる人間が絶対的に存在しないのは、何とも虚しいことだろう。

 

しかし、人生に、「勝利か、敗北か」という面で見ること自体を拒否することも出来る(今の筆者の考えはそれに近い)。

 

死ねば全てが終わり、か?  それについてもまた、そもそも「始まりか終わりか」という点を無視することが出来る。

 

この作品の主人公のように、「勝敗」も「人生の終始」も何もなく、ただ「生き様」と「死闘」を繰り広げ、それでも生きている人間がいる。しかし、世界中の大多数の人間は、意識しているにせよしていないにせよ、生きるために死のうとしているのだ
最近、この本を最近読み返してみた筆者は、この海に向かう老人というのはまさに多角的な面から読者に死を意識させた一つの記号であると思っている。それでも生きるために死ぬ思いで闘う叙述で、生死の境目を思わせ、読む者を奮い立たせる。「海」は人生全体のメタファーとも取れるが、それ以上に、人間の力ではどうすることもできない広大かつ暗渠な存在として見ると、また違った解釈が出来ると思う。


もう一度まとめると、人生には勝利も敗北もない。ただ生きるために死のうとしている。

 

……しかし

私事だが、もし筆者が老人になった時に本書を読み返してみたら、こう思う可能性が高い。
「やはりこの本は、人生の『勝者』を書いた本だ」
と。

・カジキを得られたことによって得られる勝利。

・若い頃感じた、サメに獲物を食い尽くされたという敗北。

・そして今感じている、人生をただ俯瞰したような視点。

この短い物語の中で、ありとあらゆる解釈が可能な程に無数の要素を詰め込んだヘミングウェイは、何を思ってこの物語を着想したのか、非常に興味がある。