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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

現代社会に対する皮肉をも書ききった恋愛小説【ポールとヴィルジニー】

ポールとヴィルジニー (光文社古典新訳文庫)

ポールとヴィルジニー (光文社古典新訳文庫)


今更ながら読んだ名作古典。
この歳(31)になって恋愛小説を読んで泣くなんて。
と思いましたが、涙が止まりませんでした。

しかし本書は単に「ナポレオンも愛読したという悲恋を謳った内容」ではありません。語り手の「私」が主人公の一人であるポールに話す言説がロゴスのように現代世界にも通ずる社会批判になっていると共に、それが尚更愛する者と引き裂かれた少年の悲しみを増幅させている、という側面をも併せ持っています。

その内容を一部抜粋するとーー

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「金持ちは楽しみを楽しみとも感じなくなっているのさ。なにしろ、何の苦労もなく楽しみが手に入ってしまうのだからね。きみはよく知っているだろう、休息の楽しみは疲労があるからこそ。それと同じで、愛し愛される楽しみは、さまざまな不自由や犠牲があるからこそ得られるんだ」

「きみはどちらがいいかね? これ以上もうほとんど何も希望がなくて、すべてのことに不安を感じている状態。もうひとつは、不安は何ひとつなくて、あらゆることに希望を見出している状態。はじめのが金持ちの状態で、あとのが貧しい人の状態だ。しかしどちらの状態も極端すぎて耐え難いものだ。人間の幸福とは中庸と徳とにあるのだから」
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  これを読んで、今の自分は何の犠牲もなく良いことを得ようとしすぎていたのかもしれない、と思うようになった。

  だいたい私という人間は普段から自分に甘く他人に厳しい一面があった。
  例えば、私が月々給与から天引きされる税金の中で、この国の生活保護者に充てられる金額なんか(計算してみたら)おおよそ180円程度だった。
  なのに私ときたら、いちいち不正受給者やらパチンコ依存症の人間やらに対して、尊大かつ偉そうな人間に成り下がっていた。
  そのくせ政治家や官僚に金が行き渡ることに対して文句は言ってもーーせいぜい選挙に行くくらいのことしかしてない癖にーー世の中が変わってほしい、なんていうふうに漠然としか考えてなかった。

  ただそれは。
  この本の人物描写を見て考えを改めた訳ではない。本書が発行される以前からあるいつの世の中にも蔓延る「普遍的な人間の弱さ」に対して、異様にこだわっている自分が小さく見えただけだ。
  他にも、自身の発達障害のことだってそうだ。ただ薬を飲んで医師任せにするだけで、病気が治るだろうか。いや治らない。
  経済的な面でも、例えばお金が必要最小限あればいいと主張していれば周りから無欲のように思われるかもしれないが、ささやかな暮らしをするのだって代償がいるのは当然だ。
  そもそも誰かを幸せにしようとせずに自分が幸せになろうとすることが間違いなのだ。
  才能や生まれつきの能力、学歴や家柄なんかで幸せになれるのは若いうちだけだ。

  不幸に敏感な人間になったら、それだけ見失ってしまうものも多いと思う。
  ちょっとした不幸でギャーギャー騒ぎ、幸福に鈍感な人間にはなりたくない。