くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

【キャロル】“誰か”を“本気”で愛することなんて“普通”なことじゃない、けれど【パトリシア・ハイスミス】

  女性同士の……なんて【マリア様がみてる】シリーズレベルの刺激のものしか読んだことがなかった。

キャロル (河出文庫)

キャロル (河出文庫)

 

  なので本作品のような、それほどハードな描写が多くない小説でも私にはいささか刺激が強かったのである(雑魚い……)。

 しかし、何とはなしにだが、わかっていた。これが単なるアブノーマルな恋愛物語ではないことくらいは。そして多くの人を強く惹き込ませる素晴らしい小説であるということもまた読む前からわかっていたし、実際その通りであった。

 

 現在上映中の原作版【キャロル】。19歳のテレーズは、美しい人妻キャロルと出会う。そこから彼女の運命が変わる。自分に婚約者がいることや相手に配偶者や子供がいること。その全てを振り切って。

 

 あえて一つだけネタバレしよう。

 この物語はハッピーエンドで終わる。

 

 前述のとおり、私は女性同士の恋愛描写を取り扱った作品を鑑賞したことは多くないのだが、主要人物が同性に対する愛を最後まで貫いた文学作品と聞くと、あまり良い終わり方をしないものが多い、と思っていた。でもだからと言って、そういう他作品と異なりこの小説は良い終わり方をしているから斬新――という話をしたいのでもない。そもそも、ハッピーで終わるとは書いたけれど、いろいろな苦しいことが苦しいまま終わってしまっている部分も多いし、その上ラストページには、二人の後日談を想像させる要素が満載である。その後味が良いか悪いか、とは一概に判断できなかったりするのだ。

 しかし、繰り返すが、この物語は単なる同性愛やその悲恋を扱ったものでない。大事なのは、二人の恋愛の過程で、主人公のあまりに一途すぎる思いが、読者の心を揺さぶるということ。

 

 主人公は、キャロルを一人の女性として愛した。それは、行きずりの恋なんかではなかったし、そんな彼女のことは、誰にも止められなかった。そして、キャロルもまた、彼女を愛する。

 常識も禁忌もそこにはない。それでいて、彼女たちは周りの人を傷つけ、それまでの生活も捨ててしまうものの、決して自らを本当の意味での破滅に追い込んだりはしていない。だからこそ読んでいる側は、二人が接近しているシーンでは背徳性がチラついてしまい、ドキドキが止まらない。二人がどんな愛の言葉を語り合うか、どんな約束や誓いを交わすか、そしていつ、一線を越えてしまうのか。

 主人公とキャロル以外の何人かの登場人物もまた、一途にそれぞれの愛する人を愛する。その上で主人公は婚約者の求愛をただただ受け流し、拒絶した。キャロルもまた、そんな彼女を受け止める。しかしだからと言って、その結果二人の愛は全ての障害に打ち克った――という陳腐な結論には至らない。ただ、二人、特に主人公は、恋に落ちた永遠とも言えるその一瞬を何よりも大事にした。それだけのことだ。

 普通に考えれば、主人公の婚約者が言ったような、そんな一瞬の想いなんて捨ててしまった方が良いのだろう。しかし、よく考えてみれば、相手が誰であろうと人が自分以外の人間を本気で愛することなんて、そもそも普通じゃなかったりするのだ。

 人間はすぐ、欲求や愛情というものを普遍化したがる。でも、例えば異性や自分の子供を愛することだって、ひとたびその人のことを本気で想えば、アブノーマルであるとかないとか、そんな垣根はどうでもよくなるはず。

 本作品はその性の倒錯については曖昧に書かれている(例えば作中でレズビアンとかそういう言葉は一切出てこない)。だから、どんな性的趣味をもつ人にとっても、主人公の心情に同調できる余地がある。もう一度言うが、誰かを愛することは普遍的なことなんかじゃない。本気になればなるほど自分以外の誰かを傷つけるし、時には自分をも傷つける。それだけで、本来の人間の根本的な生存本能に逆らっている。

 この作品は、一般論で言えばニッチなジャンルだ。加えて他の作品のようにとてつもない事件やアッと驚くような展開が繰り広げられる、などということもない。だからこそ、人が誰かを想うことの尊さが飾らずに書かれている。欲望やコモンセンスを取り除き、ただ一人の女性を愛するという感情がストレートに書かれた本作。ひとたび読み始めれば、その色眼鏡を外さずにはいられるものか。