くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

空腹のときはマクドナルドを襲おう【パン屋再襲撃】

 

パン屋再襲撃 (文春文庫)

パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 

 本書は短編集だが、表題作のみの感想で今回の記事を書き上げようと思う。

 

 村上春樹の小説は美味しそうな食べ物がよく出てくるなどと言われていて、レシピ本まで出されている始末であるが、僕としてはこのパン屋再襲撃に出てくるビックマックが、氏の小説の中で一番美味しそうにみえる。

 僕はもともと自分がよく料理をする反面、他人の作った創作料理というものがあまり好きではなく、誰かに作ってもらうならシンプルで決まりきったものを特に好む。カレーなら普通のカレーがいいし、和食なら肉じゃがとご飯と漬物だけで十分だ。手の込んだ意外性とか個性とかそんなものはただであろうがなかろうが僕はあまり食べたいとは思わない。もちろんその人が料理上手であるとか、その店のシェフの腕がいいとかそういうのも関係ない。小中学校の家庭科の教科書に載っているメニューとレシピで全然構わないのだ。

 その点、この小説のパン屋のパンとかビックマックとか、そういう既存のイメージ通りの素朴な食べ物を、ここまで“美味しそう”という垣根を超えた飢えを満たす描写というものは、なかなか読み手としても食指を動かされるものがある。

 この小説の心理描写は村上春樹作品の中でもとりわけ優秀だと思う。空腹とか過去のちょっとしたボタンの掛け違いなどによる囚われから、一気にその二つをいっぺんに解消する解放感。その手段がマクドナルドの襲撃と言うのは、突拍子がなくまるで中学生レベルの発想にも見えてしまうが、それだけ直接的な威力をも併せ持つ。ああ、本当にそれだけ飢えていたんだな身体も心も、と思わせてしまう。やるだけやって食べるだけ食べてから深海のようにぐっすり眠る。最高に素敵なシチュエーションだ。

 同じことをしてみたい。しかしそれは立派な犯罪だ。でもこのような飢餓というものは、おそらく誰もが経験したことのあるものだと思う。それを潤すものは、本作品の場合単なるファーストフードだった。それもパン屋のパンを強奪する予定だったのに、マクドナルドで妥協した。つまりパンっぽいのだったら何でもよかったことになる。そして心の飢餓は実際にそれで満たされてしまった。だがこのジグソーパズルのラストスパートにも似た達成感は、単純に食べたいものを食べることが出来た、という結末ではない何かを感じさせる。もともと“特殊な飢餓”をテーマにしたお話なので、その方法も特殊、と言ったところか。じゃあ現実の人間、それも凡人がお縄にかからないようにこのような特殊な飢餓を埋め合わせするには、どのようにすればいいのか。それは人によって異なるのだが……

 ちなみに僕はそんなとき本を読む。理由は単純に暇なのが嫌いだから。別に心に飢えは感じていなくても、真冬の中のあったかい飲み物のように気持ちに潤いを施してくれる。読書とは僕にとってそんな平凡で、しかしちょっとだけ非現実的な行為なのだ。