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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

四代悲劇の中でもフランクかつ心理描写重視【オセロー】

 

オセロー (新潮文庫)

オセロー (新潮文庫)

 

 

 本当は一番好きなシェイクスピアの悲劇は「リア王」なんだけど、何かとあるラノベがそれをとりあげて書いててちょっとムカついたから(?)今回はこのオセローで。

(↑とあるラノベ、と書いたが、インデックスなどのあのシリーズではないことを書き留めておく)

 

 あの白黒ゲーム(リバーシ)の語源。オセロは商標名だということは最近知った。

 

 さて、本作の主人公は、シェイクスピアの悲劇の中でも珍しく、高貴な身分のものではない。ヴェニスの軍人であり、将である。同時に黒人にして、ムーア人でもある。そのムーア人を憎んでいるイアーゴーの奸計により、自らの妻デズデモーナを、白人と不義を交わしていると思わせ、オセローは自らの手で妻を殺害する。直後に全てを知ったオセローは、自らを刺し、妻の死体に口づけをしながら、世を去る。

 

 このイアーゴーの企みは、時代背景等を加味せずに読むといささか動機が弱く、大きく見て全体的に何がしたかったのか腑に落ちない点もなくはない。だが、その言葉の巧みさは、まさに悪魔的。リチャード三世も最初は大勢の者からさんざん忌み嫌われていた癖に、いつの間にか巧みな話術で人を惑わし、王位につく。シェイクスピア戯曲の見どころは、そういった登場人物の台詞一つに、物語を全て変えてしまうほどの恐ろしさをもっているところだ。そして、ご存知の通り人がよく死ぬ。全てはその言葉通りに従った、悪魔どものために。

 

 シェイクスピアの作品には、妖精や魔女や亡霊など、本来なら存在しないキャラクターが、物語の鍵を握り、主人公を導く存在となることが多々ある。マクベスに王を殺させたのは魔女たちだし、冒頭からハムレットに全てを打ち明けたのも父親の亡霊だ。リア王にそのような非現実的な要素に当たる役どころはないが、中盤以降の狂い切った主人公がそれを見事に演じている。

 しかし、このオセローは、イアーゴーに唆されながら堕ちていく、その全貌を見ることが出来る。このように心理描写の経緯と共にストーリーが進んでいく悲劇は、シェイクスピアの中ではやはり珍しい。先述の非現実的な要素がないところも、それに拍車をかける。

 

 あまり触れられてはいないが、イアーゴーが騙したのはオセローだけではない。オセローの妻、デズデモーナに対しても、である。

 「色が黒い」「愚かである」「そしてそれを褒め讃える」。イアーゴーはデズデモーナの前で歌う。それに疑問を持たず、オセローが豹変していくのも、死ぬまで気付かず。傍から見れば物語と悪だくみの重要な伏線であり、イアーゴーの悪賢さを見れるシーンなのだが、登場人物だけが気付かない。最後の行方、全てがどうなるのか。イアーゴーだけが周りの人間達を破滅へと導いていくが、最後にはやはり自らも堕ちる。ただし死にはしない。

 

余談になるが、シェイクスピアの作品のほとんどは、何らかのオマージュ、悪くいってしまえばパクリらしい。しかし、シェイクスピアの作品が後世にどれほどの影響を与えたのかは、言うまでもない。この騙されていく側のリアル、そしてそれを見ることの出来る観客の目線。シェイクスピアは自らも演じる人間だっただけあって、その心理を熟知していたのだろう、と推測できる。話術とハンカチだけでここまで不信感を煽るなんて、現実では考えられないこと……でもなかったりする。実際はもっと愚かしい事件や殺人なんて沢山あるし、第三者からみれば理解できない人間の弱さも、この流れるような台詞一つ一つをくみ取ることで、当時の黒人の扱いや地位などを理解せずとも、“読める”。フランス革命を知らなくてもレ・ミゼラブルが読める(観られる)のと同じで。

 

 僕は学校の演劇以外で役者になったことはないが、演劇にも演じがいのある主人公役というものがいて、シェイクスピアの当作品の主人公も、それに当たると言われている。観客側からすれば、この物語の主要人物は、悪役であり道化役でもある(一応役名としての道化は別にも存在する)イアーゴーだと思われがちだが、この主人公のように騙されていく役、というのも、演じるものが奇抜な立ち回りを発揮できるからだろうか。まるで接種理論的なものだが、哀れな立場にある激情をどのように伝えるか、その点は同じ四代悲劇のリア王にも通ずるものがある。