くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

昔と今と、教育はどちらが良くなった?【ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私】

 

ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私 (知恵の森文庫)
 

 

 また発達障害の漫画、もしかしてーー。と思われたそこの鋭い方。

 そうです。僕も発達障害です。この漫画のニトロちゃん及び作者のAS、ADHD,LDのどれにも属さない広汎性だけど。

 

 さて、早速だが、健常者としての立場にたってみたいと思う。

 健常者の人間には、障害者を守る義務はない。だからといって迫害するのは許されない。この漫画に出てくるクソ教師共のように。

 日本人はいつだって極端だ。真面目すぎるからだろうか。そういえば幽遊白書の幽助が、「クソ真面目な奴は極端から極端に走るから始末が悪い」みたいなこと言ってたな。漫画ながら言いえて妙だと思う。このニトロちゃんも漫画だけど。

 しかし、実際に健常者だって自分が生きていく上でいろいろ頑張らなきゃならないんだから、人一人のペースに合わせてられないという人も多いと思う。特に、個性、と呼ぶにはアクが強すぎる人を相手にするときは。

 僕は、もうはっきり言うけど、この作者が子供時代だった頃の大人達って、真面目に子供達を教育する気があったんだろうか? と思わざるを得ない。それくらい昔の教育はいろいろ問題があったように思える。そりゃ今だってモンペとか虐待とかキラキラネームとかあるけれど、今の日本中に若年者の引きこもりやニートが多い理由って、この時代の教育がいろいろ問題があったからなんじゃないか、と感じてしまう。

 僕の場合は、多少問題のある教師はいたけれど、学校の環境自体はそれほひどくはなかった。もちろん、この本のように、まるで見えない障害を抱えている子を精神的に殺そうとするような教員もいなかった。格段に恵まれてた訳でもなかったけれど、まあ大きく見て平均的な教育現場だったと思う。良い先生も結構いたし。この本のラストに出てくる先生のような。

 多くの場合、その人の将来を決めるのは環境だろう。本人の才覚や努力など二の次だ。このニトロちゃんも小中学生の時分から本気で死について考えたことがあったけど、数々の偶然(?)のおかげで助かって、今に至る。しかしあとほんの少し背中を後押しされていたら――。

 最近、小中学生の自殺のニュースが相次いで発生しているが、やっぱりもっと問題にすべきでしょう。それは、いじめや教育現場などに怒りの矛先を向けたりメスを入れる、ということではなく、「誰よりもまず自分が、こういう障害を持った人や弱者を叩いたり、自殺するような人を追い込んだりしていることに無関係なのだろうか」と。

 発達障害など、目に見えにくい障害に対して必要な配慮は理解じゃない。自分が無関係でないと感じる責任感だ、と思う。

 そして皮肉なことに、意外にも僕やこの作者のような障害を抱えた人間より、健常者の言う事の方が説得力があったりするのである。その理由は、やはり生まれつきの障害を抱えている人は、多数派と同じ土俵で言い分を繰り広げる事が出来ないからである。

 あまり言いたくはないけれど、とある掲示板(2ちゃんねるにあらず)で、自分がSNS中毒に陥ってるくせに「(自分の)子供にはもっと視野を広げてほしい」とかいう書き込みで溢れていて、しかも他の利用者からの+評価が高かったりするのだからホントお笑い草だ。その親の姿を見ていて育っているのは他でもない、その子供達だというのに。

 教育に正解などないし、人間なんてどこか矛盾を抱えながら生きていくしかない生き物なのだから、こういうのも、そして昔の苛烈な教育も仕方ないと言えば仕方ないのだろうが、大事なのは常に自分の言動に疑問をもつ姿勢と考える力だろう。どんなことでも思考停止に陥ればすぐに人は慢心する。この漫画の教師達だって、自分の尺度でしか子供達を支配できない人間で、たまたまその時代はそういう考え方でも受け入れてもらえるだけの土壌があっただけの話だ。

 結論が出たようだ。今も昔も、結局教育の良し悪しなど、比べてはかれるものではない、ということだ。それも時代背景だけじゃなく、その子供一人ひとりを考えることの出来る人じゃないと、少なくともその子供の個性を伸ばすやり方を自分で身につけられない。