くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

「知らねえですむんなら、交番はいらねえ」←実際は交番どころか棺も葬儀屋もいらない【町工場で、本を読む】

 

町工場で、本を読む

町工場で、本を読む

 

 

 下町ロケットの記事のところでちょろっと書いたが、僕も製造業歴12年で、現在も町工場で働いている。そして本好きだ。

 旋盤工である筆者は、本書で様々な本の紹介をしつつ、職人の技、生き様、人生観などを語っていく。同じ製造工場の勤め人としてはあらゆる意味で同感できる切り口が多くて、また書籍のチョイスも渋く、ほんの数ページ数十行のあらすじだけで本質が伝わってくるかのようだった。文面を少しばかり抜き出してみても「雑用と言う仕事はない」「豊かに貧乏してきた、でも今は」「鉄はなかなかセクシーだ」「鋼の産声聞く男たち」など。このような美しい語りをスッと差し出せることができるように、僕もあやかりたいものだ。

 本書で紹介されている本の数だけ、と言っていいほど様々な視点や世界観の着眼点が存在するため、さすがに全てをここで書くのは無理なので、僕が気に入った部分のみ、ほんの少しだけ抜粋させていただくことを、お許し願う。 

 

 製造業に携わることのない、特に興味がない、という方であっても、労働問題や、災害、何より人の命というのは、当然この社会に生きる全ての人が考えてはいかなくてはならないことだ。

 前回に引き続き、という形で、今回もまた、その労働問題にスポットを当てていこうと思う。

 

 アイザック・アシモフロボット三原則を提唱した。

 しかし、この現実世界で、一体ロボットがどれほどの人間を殺害してきたか。

 「ロボットは人間に危害を加えてはならない」という項目をロボット側が破った、という話を聞くと、SF作品などで見られるロボットが意志を持ち、人類に反乱を企てた、ということを連想する方もいるかもしれない。もちろん本書で述べられているのはそういう話ではなく、産業用ロボットが何らかの事故で暴走し、作業者が亡くなった、という話である。これは、前回僕が取り上げた鎌田慧氏による著作の別の書籍、「ロボット絶望工場」の紹介に書かれている。

 産業用ロボットはシステムの一つに過ぎない。システム及びロボットを制作したのは人間だ。だからロボットに顔面を破断されたり、挟まれて死んだというニュースを聞いても、我々はロボットに対して怒りを向けたりしない。むしろそのロボットを管理していた工場の責任者や監督者に怒りを向け、責任を要求する。しかし、もう一つ、責められねばならないものがあるのではないだろうか。“自動化を要求化し続けた人間の無知さ”である。

 皆さんもご存知の通り、単純な仕事はロボットが奪い、複雑な仕事や中間管理などは人間が執り行う。すごく乱暴な言い方をすると、今の製造業はだいたいこんなだ。産業革命以来から、その根本的な部分はあまり変わらない。

 しかし、モノがあふれて逆に困る、という今の時代だからこそ、見直すべきものがあるのではないのだろうか。

 一日に2500人の労働被災者が出ても、その当事者や家族、現場に関わる人間でなければ、我々は完全に無視だ。しかしそこまで人の命を奪っておいて我々が今現在得ているものは何だ? ほんの少しの給金と、将来決して自分たちに還元されることのない年金、人質に取られている家族の寿命を生きながらえさせる。せいぜいこんなところだろう。本書でも指摘されている通り、ロボットに本当に息の根を止められる前に、労働者は既に死んだ労働をさせられているのだ。ここまで考えて、果たして本当に製造業や危険な作業に従事する人間以外には無関係な話、と言えるだろうか。

 口幅ったくなるが、本書にも書かれてある通り僕はやはり“無知は罪”だと思っている。そして著者にそのことを教えてくれたのは、町工場の現場の先輩職人だったという。

「知らねえですむんなら、交番はいらねえ」「知らないですむようなドタマなら質屋の蔵にでも預けておきな」

 著者がそのような言葉を浴びせられるのは、自分が怪我をするか、他人に怪我をさせるようなヘマをやらかしたときだったという。人は知ることで、100パーセントではないものの、危険を回避することが出来る。現在の労働環境も、(製造業以外を換算に入れて)一日に7人の人間が死んでいるとはいえ、これでも昭和の頃に比べれば改善された方だろう。

 しかしロボットはどうか。ロボットを叱りつけ、怒鳴りつけたところで、いうことを聞いてくれるだろうか。プログラミングを変えれば多少は安全な動きをしてくれるだろうが、そもそも前科持ちのロボットを置いたまま作業を再開している時点で(実際そういう現場は当たり前のようにある)、また同じことをやる可能性は大いにある。結局改善するのも人間だし、怯えるのも人間。何度も何度も殺されるのもまた人間だ。

 本当に世の中、知らなかったで済まされないことはわんさかある。僕もそれで何度も怒られた。もちろん怒られて済むだけなら断然マシで、今もとある理由から「知らなかった」ことで人生の辛酸をなめさせられ、苦労している。それはひとえに、僕が無知だったからであり、それ以上でも以下でもない。僕は今僕自身に償っていると同時に懲役を科しているのだ。

 ロボットが予測できない行動をしたからと言って、棺や葬儀屋の出番になるようでは、この世界の悲惨な労働環境はなくならない。「怪我と弁当、テメエ持ち」。この言葉は危険な製造作業で働き、誰よりもこの日本という国家の基盤になっている熟練職人が言うからこそ重みがあり、また説得力がある。しかし世界は世界にとって必要な人にこそ、何故か冷遇する。製造業に携わる人も、そうでない人も、考えてみよう。知ろうとしないことがどれほど多くの人を殺すか。人の尊厳ならびに自分自身すらも無意識的に破滅に向かわせているのか、ということを。

 

 さて、二日続けて日本の労働問題に関する記事で恐縮だが、本書はもちろんそんな暗い部分ばかりを取り上げた書籍ではない。労働、読書を通して、人間の生き方そのものを書いた本だとも言える。

 読書には少額のお金さえあれば、文字を読める人なら誰でも行う事が出来る。図書館で借りればそのわずかな投資すらなく読める。本書のような素晴らしい本で紹介されているこれまた素晴らしい作品群で、知識と知恵を手に入れ、自らの人生の一部にしない手はない。