くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

【村上春樹】意外と何もかもうまくいっている旅行エッセイ【ラオスにいったい何があるというんですか?】

 

 

 さて、今回も村上春樹、いってみよー。

 
 本書は表紙にも一応小さく「紀行文集」と書かれてある通り、9つの世界の地域(一つだけ日本)を巡ってきた氏のエッセイ本で、ラオスにだけ行ってきた訳ではない。むしろ著者の書籍ではすっかり見慣れたアメリカの風土や店での紀行が半分近くを占める。
 氏の趣味の一つであるジョギング、それを愛好する人にとって理想的な場所はボストンからケンブリッジにかけての地域、とのこと。まあボストンマラソンに参加してるくらいだし、イメージだけでもしやすい。
  次の章の舞台のアイスランド。ここからまた氏特有の妙にドグマチックな偏見が炸裂する。人口当たりの作家の割合が世界一多い国だったり、「パフィン」と呼ばれる鳥と触れ合ったり、「へぇー」と関心を持てるシーンもあるけれど、それとは別に「アイスランドのレンタカー会社経営はやりたくない職業の一つ」とか、町や田舎の壁に描かれてある絵をチクっとディスったり、アイスランドをまるでヤスリで少しこするかのように本音をチビチビぶちまけるという所はーーまあこの本に限らず氏の文はいつもそんな感じか。
 オレゴン州ポートランドに関しては本当に魅力的に書かれてある。本好きのための巨大書店「パウエル」の紹介や、レストラン「フォア・ストリート」のシチュー、「ストリート・アンド・カンパニー」のロブスターのグリルなど。どれも読んでるだけでお腹がなる。他にもキャンパスライフやジョギングを楽しむ人でいっぱいであるなど、しっかり現地の楽しさが伝わる章立てになっている。さすがアメリカかぶれ
 「フィンランドと言って何を思い出しますか?」という氏の問いには、僕からしたら「福祉が充実している」「大学が無料」とかを思い浮かべるけど、やっぱりというか何というか、氏はそんな変に現実的な話を自著にもってきたりしないーーと思ったら原発の話をカフェで話したりとか……そういえば氏はどこかで原発反対みたいなこと言ってたよねーー。また、一応この章で、腰巻のコピーの「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」という文句が出るわけだが、そりゃどんなこともそうだと思いますよ。っていうかこの旅行は普遍的かつ上手くやってるじゃないか、と突っ込みたくなります(汗  。でも、フィンランドの人達の暮らしや環境を想像するにあたって、読む前は、今流行りのミニマリストみたいな感じなのかな、と勝手に思っていたが、読み進めていく内に、意外と人々の優雅な生活の描写が書かれていた。国民があらゆる芸術にどっぷり浸かったり、過不足なく長閑に暮らしていたり、料理も美味しかったり。そんな生活に、いつの間にか読んでいく内に惹かれている自分がいた。何か、北欧ってやっぱりいいなぁ……。
 さて、その次はいよいよ本書のタイトルになっている国だ。確かにラオスって正直言って何があるのやら。動物好きな僕は、ラオスイワネズミが生きた化石である事はもともと知っていたけど、それだけでは当然ラオスの何たるかを知っていることにはならない。
 本書もあくまで旅行記なんだから当然と言えば当然なのだが、ラオスという国の諸問題や歴史の考察を取り上げている訳ではないし、ましてやポジキャンもネガキャンもしていない。むしろ、メコン川での出来事、見た目は悪いけど美味いという魚料理、寺院や僧侶に対する思慮など、何だかタイトルに選ばれている国だけあって、叙事的に書かれている節が感じられる。その筆の流れはアジアの中のラオスという国がもつちょっと蠱惑的な部分の紹介とすら言えた。村上春樹さん、あんた欧米ファッションにこだわってるけど立派なアジア人だよ。
 最後に紹介してる熊本のくまモンに関しては、まあ、何というか、村上春樹ならこう感じるだろうな、程度の紹介や感想だった。ただ氏が神奈川県民だということはこの本を読んで知った(今更?)。どうせ書くのであれば、ゆるキャラを猛烈にプッシュするそれまでの地方都市における悲喜や、その裏にあるワビサビとかにも触れてもよかったんじゃないかな。でも確かに熊本県に行ったというなら、例え氏のイメージでなくてもくまモンの話題は外せない。そしてそれを有名作家の書籍という媒体で紹介されることを喜ぶ人は、熊本県だけでなく全国規模で見ても少なくないだろう。くまモンの全てを簡潔に纏めるなんて不可能だろうから、著者を責めたりなどすることはできない。
 
 氏はこれまでいくつか紀行文集を書いてきたけれど、今回はなかなか文章も旅行の工程も安定していて面白かったな。ただその安定感は、逆に言えば氏が歳を重ね、保守的になったことの表れとも取れた。それは既に近年発表している小説の中にも見て取れるから、今更嘆くことでもなかったりするのだけれど、初めて村上春樹小説を読んだ時の感動を、もう一度本人自身の著作で味わってみたいと思うのは贅沢な望みだろうか。