くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

一人の天才が世の中を動かす時代なんかあったためしがない【響~小説家になる方法~】

 

響~小説家になる方法~ 1 (ビッグコミックス)

響~小説家になる方法~ 1 (ビッグコミックス)

 

  金欠だ……年末年始ということだけあって財布の中身が薄くなっている。

 なるべく飲み会などの外せない用事がある日以外は、自分の好きな雑誌や漫画を格安で読めるような、趣味を満喫できる漫喫(漫画喫茶のこと、韻踏んじゃった)などの場所で休日を過ごすに限る。

 

 そう。

 特に、買う必要性の薄い、漫画を読む上では、ね。

  というわけで、この文章も漫画喫茶で書いてます。

 

 さあさ【響~小説家になる方法~】。あなたもこれを読めば小説家になれる! まるっきりの素人さんもワナビの方もさあさお立会い!!

 

 ・・・いやいやタイトルとコピーで評価が大体決まっちゃいますね、残念ながら、本って。

 

 せめて漫画の中では夢が見たい。映画の主人公のようにかっこよく生きたい。感動するフィクション作品を見た後にそのような感想を抱くのは、誰しもあると思う。ジャンルは問わず、文学でもエンターテインメントでも。

 しかし、もうそれについては結論から述べてしまおう。

 現実は現実、虚構は虚構だ

 僕たちはどうあがいたって虚構の世界には入れない。漫画や小説、映画やゲームのような主人公、人生、思想に憧れても、それは現実に現すことは出来ないし、出来たとしても、それはもうその時点で完全な虚構ではなくなる。

 それでも僕たちは現実という世界の住人だ。物語の世界でヒーローが悪をやっつけても、現実世界は平和になれない。ニートが異次元世界に行って無双しても、現実のニートは少なくとも自分からアクションを起こさなければニートのままだ。

 それでは虚構は存在意義がないのか、いやある。むしろ現実との対比を示してくれるという役割を担う、この世で最も有意義なものの一つと言っても良い。

 つまるところ、この僕たちが今生きている世界の人たちは例外なく、虚構を鑑賞する際、自分の世界と、自分自身を照らし合わせた上で、それを受け入れている。生きてきた経験と知識がなければ、想像はおろか創作物の意味を汲み取ることも出来ない。

 すべての虚構の本当の意味での主人公は、それを読んでいる読者自身に他ならないのだ。(なんかこういう台詞、誰かがすでに言ってるっぽい。まあ実際そうなのかどうかは知らないし、とりあえず知らん振りしとこ)

 

 一人の天才が世を動かす?

 世の中とまではいかなくとも業界全体を?

 おいおい、いつから一人の人間という存在はそんなに偉くなった?

 芸術だけじゃない。科学だって政治だって、古今東西そして未来、神が決めたかの如き真の意味での天才なんてのは存在したためしは一度だってない。天才とは、勝手に第三者が作り上げたものであって、人間が勝手にルールを作って持ち上げてきたに過ぎないのだ。例えば世の中に存在する定理や原理を発見したピタゴラスアルキメデス。彼らだって実際に人々から与えられた評価そのものはおいといて、少なくとも天才、などという陳腐な表現で判定をする対象からは除外すべきだ。だってこの時代を生きる人々の99.999999999パーセントは、これまでの定理をひっくり返したり新しい命題を証明したりなどということを一つも経験しないまま人生を終えるのだから。

 あまり目線を外部に逸らしすぎると漫喫の3時間パックの退出時刻が過ぎてしまいそうだから(そんな理由かよ)、話を芸術関連及び今回紹介したこの漫画に絞ろう。

 本書は小説(特に純文学)をテーマにしているだけあって、太宰治村上龍、春樹などの名前がよく引き合いに出されている。なるほど、現実世界に、多大なる印象や発行部数を刻み込んだという、そういったわかりやすい作家やその業績を取り上げれば、作中でも天才、凡才といった定義付けがしやすい。また、この漫画の見せ方という観点から見ても、主人公に意味不明な言動をさせたり、肝心の主人公が書いた小説の中身を読者に見せる、ということもせずひたすら「この文は革新的だ」と他のキャラに可能な限り言わせる。しかし、それで出版業界、ひいては文学というジャンルを震わせるほどの天才云々を、この漫画の主要テーマとして語るというのは、漫画作品の中でのお話とは言えいささか滑稽にすぎる。

 出版業界が不況なのだって、今は単に趣味やコンテンツが多様化して、グローバル化も進んでいる。その上で、人々の好みが無数に枝分かれしていること自体が可視化されやすくなっている、というのが主な理由だ。一人の天才というカリスマに夢を見るのも大いに結構だが、それで今の世の中に天才がいないだのあるいは逆にすぐヨイショして○○が天才だの、さすがにそういった寝言は本当に寝てその夢の中だけの話に留めておくべきだ。

 いつだって、人はその人の生きている現実というものが全てであり、虚構が人々の現実や世界を100パーセントリードしてくれるなんてあり得ない。ましてや一人の芸術の天才、なんてちっぽけなものが

 

 なので、あまりクソミソにけなしたくはないが、この漫画はこう考察するしかない。

 一人の小説好きの女子高生が投稿した小説で、業界、ひいては現実世界そのものを変えられることの出来るファンタジーの亜種だ、と。

 ちょうど遊〇王の世界において、カードで人を殺せたり世界を動かせたり出来る、といったことが通用する世界観と同等と思ってもらってよい。

 

 ネタバレになるので話の展開は伏せるが、この漫画に描かれているように、一人の天才の小説に〇〇を✖✖出来る力などない。仮に、小説という物が一人の人生を動かせる力があるとすれば、その源は他でもない小説を読んだその人自身からのものである。それだけの話だ。

 それでも芸術の天才か凡才か、多大な影響を与えたかそうでないか、を判断させたいのであれば、もう創作者自身がそういう存在になるしかないだろう。この現実世界に生きつつあらゆる芸術作品の鑑賞を趣味にしている人は、それを心待ちにしている。

 個人的な見解の一つとして、言おう。少なくともこの漫画及び作者はその域には達してない。

 

 それでも、読書(漫画であっても)というものはあらゆる面で人々の生きていく糧になる。良作だろうが駄作だろうが、全ての書籍は生きていく人々の経験となり、血肉になる。そうでなければ、僕がこのブログを書く理由などない。

 そう考えると、そのことに改めて気づかせてくれた、というだけでも、この漫画は読む価値があった。決して漫画喫茶で払ったお金と時間は無駄ではなかった。

 

 さあ、小説や漫画という業界の話以前に、この漫画の明日はどっちだ?