くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

かそけき男の行く末は。。。J・M・クッツェーの【恥辱】

 

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 南アフリカって、首都が3つくらいあるっていうのは最近知った。

 そして日本では例のコピペの為にアフリカ大陸全土の中でももっとも有名な都市のひとつであるヨハネスブルクはその内のどれにも属しない。

 さて、本作の舞台は立法府の首都であるケープタウンと、同じく南アフリカの片田舎。

 

 たった一度の過ちでこれまで築きあげたものが、というのは転落を味わったものの弁だが、果たしてそれは本当にたった一つであったと言えるのだろうか。

 女子大生へのセクハラ、そして軽々しい気持ちから関係をもったことにより辞職に追いやられた中年主人公。そこにはただ何もない、愛憎劇すらない、本来ならドラマにもならない、とないないづくしの末の転落。あるのはただの卑しい欲望と贔屓と、何より自分が上手く性欲を処理してきたと思うその思い上がりだ。

 彼には頼ることの出来る娘がいた。農村に住む実の娘のところにころがりこみ、そこでも新たな悲劇が幕を挙げる。

 一つの見方で判断すれば、この悲劇は主人公の果てに訪れた贖罪の為の審判ともとれる。だが、舞台はアフリカだ。ギャングの襲撃に巻き込まれることもあれば、身近にいる人間に罠にはめられることだってあるのだ。

 だが、それを受け入れる娘。納得のいかない父。現実に置かれたらおそらく主人公の考え方の方が読者的にはしっくりくるし、それこそその“恥辱”は並大抵のものではない。しかし事態は全てがまるで主人公の思惑や考えとは逆の方へと進んでいく。つまるところこれは何も教授という位をはく奪されたことが始まり、というよりは、この男の人生の中における予定調和のようなものであったのだろう。

 辞職、襲撃、いびつな社会構造、レイプといった形而下的な意味でのみ語れない“恥辱”は、おそらくどの世界であろうと生きていく上で本人にとって最も耐えがたく一生のしかかる辛苦だ。つまりこういった出来事の一つ一つは、あくまでトリガーの一つにすぎず、主人公の受けた内面的な苦しみこそが、この物語のみならず、人間の抱く負の感情を司っているのである。

 

 恥辱、と呼ぶには抽象的にすぎるきらいもあるほどに残酷な洗礼を受けた主人公は、やがて自分が祖父になることを意識し始める。そこでようやく自覚する。自分の人生がそれほどまでに上手くやれてこなかったことや、自分の徳の不足さを。

 救いがないわけではない。精神的に受けた恥辱が癒えるはずもないが、そこにはまだ生きていく兆しのようなものも、ラスト付近では見える。

 だが、その象徴の一つが、かつて主人公が置かれていた立場と真逆のものであるということは、皮肉としか言いようがない。

 

 本当の意味での無間地獄というものはこの世に存在しないからこそ、人間は生きている限り煉獄で受けるような贖罪を受ける覚悟で生きていかなければならない、そのように感じさせる作品でもあった。

 

 

 余談になるが、日本でも翻訳されている海外の現代文学というのは、多国で読まれているだけあってきちんと噛み砕かれていて読みやすいものがとても多い(ロリータなど有名な割にやや難解なものもあるが)。

 そう考えるとこの作品は、初めの数ページを読んでから読後感の余韻に浸る段階まで、もはや人間の本質を考えさせてくれるのにとても適した小説だと言える。

 

 …あともう一つ余談になるけど。

 amazonでこの本のタイトルのワードで検索したら、いかがわしい作品がいっぱいヒットするんだよね……

 書店で平ら積みにされる程この本の知名度が高いわけではないのは、タイトルのせいなのかな……でも読み終った後は、やっぱりこの表題でないとしっくりこないし……(原題の「Disgrace」には「恥辱」という意味の他に「不名誉」というニュアンスも含まれる)