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くまの書評ブログ【すべての書籍は血肉縁】

“血”となり“肉”となり、人々の“縁”となる読書の素晴らしさを、野獣目線で呟いていきます。

思考法を纏めたビジネス書の秀作【降りてくる思考法】

 【降りてくる〜〜】というタイトルだが、決して「何かスピリチュアルなものが降りてきた」とか、そういうことではないし、また、腰巻きに「ロジカル・シンキングはやめなさい!」と銘打っているが、論理的思考を軽視しろと言っているのでもない。
    本書は、クリエイティブな思考法を謳うだけあって、普通に生活しているだけではなかなか気づきにくいところまで考えて、一冊の本に仕上げている。ここ最近読んだビジネス書の中では、比較的上質な中身だとも言える。

 

降りてくる思考法 世界一クレイジーでクリエイティブな問題解決スキル

降りてくる思考法 世界一クレイジーでクリエイティブな問題解決スキル

 

 

 

Part 1.あなたの可能性を最大化する思考法

 

「すべての人間は考えることが苦手だ」という前提から始まり、無数の“枠組み”を作っていると指摘している。確かに、世間的な問題や価値観は、“枠組み”によって支配されていると言っても過言ではない。戦争がなくならないのは「他国・他民族を信用すべきでない」という恐れからきているし、女性が体型を気にするのは、「太った体は美しくない」という観念に基づくものだ。そして、そういった価値観等も含めて、ほとんどのところは“無意識”が決めている。そして、その無意識にアクセスするために、“意識”を徹底的に使う、つまり、あるテーマや課題に対して意識を集中させて使った時に、無意識の領域が持つポテンシャルをたっぷりと引き出して使うことができるのだ。そのために、著者は「メタ思考」(何故? と問い続けるクセを持つこと、脳を休ませることなど)のやり方を、本書で述懐している。次の章では、更に、可能性を最大化する方法を紹介している。

 

Part2.脳を狭く小さく使う48のスキル

 

    この場で48のすべてを紹介することは出来ないが、私が感銘を受けた項目がいくつかある。
    まず「なくす」
    人間は、極度のミニマリストでない限り、本当に必要のないものまで取っておいてしまいがちだ。しかし、ただモノをなくして最低限の生活をしろ、と言いたいのではなく、どうしてもなくせないものから組み立てることで、新しいものを生み出すことができるとしている。例えば、カードという物は、クレカであれポイントカードであれ、どれも単に「個人認証」をしているだけに過ぎない、となると、普段持ち歩いてもいいものだけを絞ると、それだけで普段の自分の生活を見直すことが出来るのだ。中には、「肝心なものをなくす」という、ちょっとアグレッシブなアドバイスもある。電車に車輪をなくす、という発想からリニアモーターカーの技術生まれる訳だし、Twitterにしても長文のメッセージをなくしてしまったことによって他のSNSとは違うタイプを生み出した。その肝心なもの、というのは、捨ててしまうというのもイノベーションの一つなのだ。

    もう一つは「くっつける」。
イデアとは既存のものの組み合わせだ、とはよく言ったものだが、その既存のものを超えるレベルでのアイデアは、実はこの「くっつける」ことにあるという。私も同感だ。
例えば、私自身も子供の頃あらゆるテレビゲームをやってきたが、超がつくほどの人気作の続編は、「くっつける」ことによって新たな魅力を引き出したものがある。例えば、ファイナルファンタジー5のジョブチェンジシステム及びアビリティシステムというのをご存知だろうか。ジョブ(職業属性)や、そのジョブに合った能力(アビリティ)で戦うという発想は、既に5より前にあったが、そのジョブとアビリティをくっつけて自由に自分のプレイアブルキャラクターをカスタマイズするというやり方で、抜群のバランス及び素晴らしいゲーム性を生み出した。他にも、初期のポケットモンスター(赤・緑)は、初代であれ、それまでに発売されてきたあらゆるゲーム(魔界塔士サガ、MOTHER、女神転生など)のシステムをくっつけて出来たものだという話を聞いたことがある。結果、ポケモンシリーズは世界でもマリオと肩を並べる程の人気作となった。

    更にもう一つは「〜だとすると」。
何か大きな問題が起きたら、自分がウルトラマンだったらどんなふうにして解決するのか、発想や行動力が欲しければ、アインシュタイン坂本龍馬だったらどう考えるのか。そのように自分が「〜だとすると」と考えると、様々なイメージが思い浮かぶ。ライバルを想像してもいい。もちろん、いろいろな意味で現実にありえない相手でもOKだ。出来れば最も恐れるもの、例えば、自動車部品関連の中小企業の社員であれば、トヨタの社長とか。世界平和を願うのであれば、ゲームに出てくる魔王とか。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、そのような発想から自分のやるべきこと、やりたいことが現れてくるというのは、まさに「思考が降りてくる」ことに他ならない。

 

Part3.降りてきたアイデアを育てて世に出すコツ

 

    そして、本書では特に「脳を狭く小さく使う」ことの重要性を説明している。つまり、48のスキルもそうだし、降ってきたアイデアも使いこなせなければ意味がない。その為に、「前列に縛られていないか」「自分のアイデアを過大評価していないか」「よいアイデアは論理的思考で見分けろ」など、自分の思いつきを単なる思いつきに終わらせないやり方を書いている。真新しいアイデアはとても魅力的で、それだけで十分に役目を果たしてしまったと我々は考えがちだ。しかし、すべては行動し、実現してこそ意味がある。降りてきたアイデアを十分に活かすためにも、自分を見つめ直すこともまた必要なのだ。

 

    本書は、決して常識はずれなイノベーションや突飛なアイデアを示す裏技的な本ではない。むしろ、アイデアを考える時には楽しみながらも、誰よりも深く思考する、誰よりも徹底して思考するということがどれほど必要かも書いてある。もし、アイデアに詰まったり、思考が降って湧いてきたとしても実行に移せないのであれば、それは枠組みの中にはまってしまっているからだろう。その枠組みから一歩踏み出して、自由かつ個性的なアイデアを誰もが持っている。何故なら、アイデアというものは前例がないからこそアイデアなのだから。

ジョセフ・コンラッドが伝えたかったこととは?【闇の奥】

 最近このブログで、寓話を紹介する機会が増えている。すなわち、物語が読み手に多種多様な思想や感想を与え、教えを受ける作品といったものを。

 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

 ジョセフ・コンラッドの代表作【闇の奥】

 あらすじ(Wikipediaより引用)
ある日の夕暮、船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに若い頃の体験を語り始める。

マーロウは、各国を回った後、ロンドンに戻ってぶらぶらしていたが、未だ訪れたことのないアフリカに行くことを思い立ち、親戚の伝手でフランスの貿易会社に入社した。ちょうど船長の1人が現地人に殺され、欠員ができたためだった。マーロウは、船で出発し、30日以上かかってアフリカの出張所に着いた。そこでは、黒人が象牙を持ち込んで来ると、木綿屑やガラス玉などと交換していた。また、マーロウは、鎖につながれた奴隷を見た。ここで10日ほど待つ間に、奥地にいるクルツという代理人の噂を聞く。クルツは、奥地から大量の象牙を送ってくる優秀な人物で、将来は会社の幹部になるだろうということだった。マーロウは、到着した隊商とともに、200マイル先の中央出張所を目指して出発し、ジャングルや草原、岩山などを通って、15日目に目的地に着いた。

中央出張所の支配人から、上流にいるクルツが病気らしいと聞いたが、蒸気船が故障しており、修理まで空しく日を送る間に、再びクルツの噂を聞く。クルツは、象牙を乗せて奥地から中央出張所へ向かってきたが、荷物を助手に任せ、途中から1人だけ船で奥地に戻ってしまったという。マーロウは、本部の指示に背いて1人で奥地へ向かう孤独な白人の姿が目に浮かび、興味を抱いた。

ようやく蒸気船が直り、マーロウは支配人、使用人4人(「巡礼」)、現地の船員とともに川(コンゴ川)を遡行していった。クルツの居場所に近づいたとき、突然矢が雨のように降り注いできた。銃で応戦していた舵手のもとへ長い槍が飛んできて、腹を刺された舵手はやがて死んだ。

奥地の出張所に着いてみると、25歳のロシア人青年がいた。青年は、クルツの崇拝者だった。青年から、クルツが現地人から神のように思われていたこと、手下を引き連れて象牙を略奪していたことなどを聞き出した。一行は、病気のクルツを担架で運び出し、船に乗せた。やがてクルツは、"The horror! The horror!"という言葉を残して息絶えた。

 

 本書は、古典文学としては比較的わかりやすいテーマを掲げている反面、様々な解釈が可能な、寓話的要素も含んでいる小説であるように思える。それはひとえに、クルツの最期の言葉「"The horror! The horror!"」(黒原敏行訳だと「恐ろしい! 恐ろしい!」)、この今際の際に発された言葉が、読んだ者全てに多種多様な想像力を働かせるからだ。
 【闇の奥】原題は「Heart of darkness」。【闇の心臓】【闇の心】とも和訳出来そうなタイトルだが、闇の奥とはアフリカの奥地のことをも表している。つまり訳の時点で多くの解釈が可能であり、先述の通り寓話的要素をのっけから差し出してくる。
 文化の行き届いた国と、植民地支配の国の奥底。そこで見た主人公マーロウとクルツが抱いた真実は、果たして同じものであっただろうか。登場人物すらも各々の立場、見方、境遇から様々な思いを抱いたまま、物語は終焉を迎える。まさにこの小説の主張の真相こそ闇そのものとも言えるのだが、白人至上主義とアフリカの奥に存在する未開の地及び差別・階級意識。こういったものが、いつの時代にも通用するテーマになっているくらいに、全体主義、支配、差別というものを主軸に動くテーマが躍動するほどに、人間はいつの時代も変わらないものなのだろうか。
 きっとそうなのだろう。真実を書いても、それぞれにとって都合の悪い点を光で照らしても、史実や人の感情は簡単に捻じ曲げられてしまう。実際、この小説に影響を受けたとされている、村上春樹の「羊をめぐる冒険」ですら、読み手によって様々な解釈を生み出した。つまり、寓意だ何だと言っても、この小説そのものが人の心の闇を書いたのではなく、読む者がこのような物語を自分の中で意味を勝手に産み出すのだ。それも自分に都合の悪くなりすぎない程度に。
「今のアフリカがどうしてこんなに混沌としているのかがわかる」
「未開人の恐怖と白人の責務を書いている」
「白人に留まらず人間の原罪を問いかけた話」
 など、あらゆる解説やサイトを見ても、その感想や結論はバラバラだ。もちろんどれも間違っていない。
 しかし、世界を内包する光と闇が、人間の心そのものと変わらないものであるとしたら、それこそ人間が作り出した光と闇というものは、何と自分勝手なものでしかないのだろう、と私は思う。

 

 コンラッドがこの小説をもって何を伝えたかったのか、真意は何か、ということは、わからない。だが一つ確かに言えることは、「人は、本当の意味での自分の心の闇の奥底を覗こうとはしないし、出来ない」ということである。
 かく言う私も、この本を読んで世界や人類といった曖昧な悪を考えさせることは出来たが、自分の心に存在する“都合の悪い部分を含む”闇の奥を覗こう、とは思わなかった。

約10年ぶりくらいに【夢をかなえるゾウ】を読み返してみたら

    前回は取り乱してしまいましたm(_ _)m

    さて、今回はこの数日の間に自分のことをいろいろ考える機会があったので、その話も混じえてしていこうと思います。

    その際に取り上げるのは、この本。

 

夢をかなえるゾウ文庫版

夢をかなえるゾウ文庫版

 

 

    2007年に単行本版が上梓されて大ヒットした自己啓発型の小説【夢をかなえるゾウ】。

    私がはじめて読んだのが20代の前半頃だった。

     この本は本当に画期的だった。

    当時、様々な自己啓発本が溢れている中で、敢えて小説という形態を取りつつ、「ガネーシャの教え」として、成功したいと思う人のために、歴代の成功者や偉人のやってきたことを引用して教授している。そればかりでなく、“この本に書いてあることはすでにあなたが持っている本に書いてあることばかりです”と言った具合で構成されており、それでも今こんなタイトルの本を手にとって読んでいるということは、「この本はこれまでの自己啓発本と違いますよ」というメッセージと共に「あなたは今、数々の本の言う通りにする日々を全く送っておらずに、無為に日々を過ごしていますね」という教訓をも与えた。ガネーシャと主人公のやり取りの如くハチャメチャで、挑戦的かつ斬新な本だった。
     何より、一番この本のメッセージの中で“効いた”のが、こちらだ。

「けどなぁ……期待しているかぎり、現実を変える力は持てへんのやで

     自己啓発本を読むということは、率直に言うと成功していない人にとってとてつもない娯楽だ。何故なら、本の中の成功者をイメージし、「自分もこうなれるんじゃないか?」という期待に胸を膨らませ、あまつさえ成功者になり切れることすら出来てしまうからだ。そういった手痛い現実や本質を書いた本は、今でもやはりこの本を除いて他に知らない。

 

    自分の話をしよう。

    私がこの本を読んで約10年が経過した。
結論から言うと、ガネーシャ(本書)の教えを愚直に守らなかった今の私は、少なくとも他人から見たらとても成功者とは言えない。
     10年前の私は、音楽でボーカル兼キーボードをやっていて、インディーズレーベルにも声をかけられて、ちょっと調子に乗っていた時期であった。このままいけばメジャーデビューなんて夢じゃないと思っていた。【夢をかなえるゾウ】はじめ、多くの自己啓発にかぶれていた時期でもあったので、それを少しずつでも守っていけば、成功出来るなどと思っていた。
    そして、当時は、それこそがまさに「未来に期待しすぎている」という自覚も出来ないまま、ただ無為な時間や辛い日々を過ごした。リーマンショックで仕事はクビになるし借金には追われるし、結果、晴れやかな世界に足を踏み入れることはおろか、インディーズレーベルでCDすら出せずに終わった。おまけに、大した理由もない癖に自分で勝手に音楽の夢まで諦めた。少なくとも、この本をはじめて読んだ時の夢をかなえることはとても出来なかった。それもこれも全て、努力不足云々の前に現実を見ておらず、何より自分というものをしっかり理解していなかったためだ。
     とはいえ、この10年間不幸だったというわけではない。いろいろな仕事も経験出来たし、結婚もできたし、何より生まれつき患っているとある持病もだいぶ寛解しているし、そのおかげで今また、第3種電気主任技術者電験3種)の資格を取ってバリバリ仕事をしたいと思えるようになったり、新たな夢をかなえるために努力出来る環境にある。
    全部ひっくるめて、いろんな経験が出来て良かったと思っているし、これからもどんどん成功も失敗もしていきたいと思っている。
     もうとっくに30過ぎているし、あまり失敗ばかりでは取り返しがつかなくなるのではないかという不安もなくはないが、それでも、若い時の自分の頃のように自己理解も自己表現もまともにしようとせずに後悔していた時に比べればマシになっている……と思いたいσ(^_^;)

     話を元に戻して、この本のことを。

     この頃、もう一度、私はこの本を時々読み返しては、楽しませてもらっている。今度は、書いてあることを愚直に守るためでなく、あくまでエンターテインメントとして読むために。
本書に書いてある課題は素晴らしい内容ばかりだし、ググればいろんなサイトやNAVERまとめにも載っているくらいだが、課題を全部やりきるのが自分の人生そのものではないし、こう言ったペースメーカー的な役割として使おう、という割り切りで自己啓発本を読むのもまた面白い、と思った次第である。

    なんか、まとまりもとりとめもない文章になってしまったが、要するに何が言いたいかというとーー
     私は、専業ミュージシャンとか、そういう若い頃の夢は叶わなかったけれど、一番の目的である
「幸せになること」
    今の自分が、その最大の目的を継続出来ているということである。
    だが、これに満足してはいけないのは当たり前。
    幸せは、得るよりも、守り続けることの方が大変なのだから。

風邪で熱が酷く気分が最悪な時に敢えて自己啓発本を読んでみる

 注意!

 本記事は敢えて体調の悪い時の今の自分の心をいじめることによって、完全にネタのつもりで身体を張って書いています。面白半分で書かれた記事なので、真面目にこの本の内容を知りたかったり、嘘や演技であっても他人への誹謗中傷及び自暴自棄な書き方に不快を感じる人は、ご注意下さいませ。

 選んだのが、【自分をもっと深く掘れ!】 新渡戸稲造・著作

 

 

 

内容


第1章:ひとりよがりの生き方を辞める

 

「ひとりよがりを辞めるだと?
クソッタレ、人間はもともとひとりよがりな生き物だろうが。自分の長所を生かすも何も、世の中はそんな自分の長所ばかり生かせるお膳立てが用意されるほど甘く出来てないんだ。その証拠にオレは今こうして風邪をひいてダウンしているじゃないか。こんな本に書かれてある通りに頑張ったらたちまち悪化させて死んじまう」

 

第2章:苦労が顔に出ない人の「厚み」 

 

「ふざけるな! 毎日の仕事や生活に忙しくてこんな高熱を出しても苦労を顔に出すな、だと? チアフルに生きるなどと書いてはいるが、常にそんな強くいられるほど人間はタフな生き物じゃない。なのにこの本は傲慢だ。そんな心の弱さや隙を見せてはいけないなどと決めつける傲慢な本だ」

 

第3章:自分を大きくする怒り、小さくする怒り

 

「怒りに大きいも小さいもあるか! 人間は感情の生き物だ。怒りというものがあって初めて人間らしいと言えるんだ! ましてやこんな今のオレみたいに体調の悪い時くらいイライラすることの何が悪いんだ! 自分が大きいとか小さいとかそんなの知ったこっちゃない! ただオレは今、病気が治ってほしいだけなんだ!」 

 

第4章:「誠実さ」は二つとない財産  

 

「おう、誠実さ、と来たか。ああ、確かに普段のオレもそうやって自分が誠実でありたいといつも思っているよ。だがな、人間結局自分が一番可愛いんだ。オレだけじゃない。オレ以上に誠実さを持っている人間だって、それを上手く表現出来ない人だっているんだ。アンタはそんなちょっと声が小さい人に対してまでネチネチ鬼の首を取ったかのように虐めるのか? そんなアンタこそ、誠実だと言えるのか? ああ旧5000円札さんよォ!」

 

第5章:新渡戸流・人のこころを確実につかむ方法

 

「バカにするのもいい加減にしやがれ。人のこころを確実につかむだと? そんな簡単な人のこころという尊いものを、手玉に取れるような書き方をしやがって、何様のつもりだ? 少なくともオレは、アンタが5000円札だった時に少しだけ心を奪われてはいたが、それは金に対してであってアンタにではない。結局、諭吉や漱石に比べれば、紙幣の肖像にならなければ知名度も低いアンタだったんだから、説得力がないな」

 

第6章:小さい自分を捨てて「本道」を行く

 

「小さく生きることの何が悪いんだ? じゃあこうしてオレが今寝込んでいるのもただ小さくうずくまっているだけだというのか? 書いてある中身も酷いもんだ。頭でっかちだって楽しめる時はあるんだ。「どうしても譲れない一線を持て」だと? おうそうか。だったらオレにとってどうしても譲れない一線は、アンタみたいは偉そうな人間に自分を安売りしないということだ。そしてまた病気が治ったらバリバリ仕事をする。ほら、小さい自分を捨ててやったぞ。文句あっか?」 

 

第7章:いい人生をつくる「感性の力」 

 

「これもまた内容がひとりよがりだ。『色メガネを外し“本物”を見る』だの『頭の働かせどころを知る』だの。そんな命令されたところでいい人生が送れる保証があるのか? そこまで人生を知っている人間が、オレのような小物一人の心にも響かなくなっているようじゃ、教授や大学長が聞いて呆れるわ」

 

第8章:代役のきかない人になれ

 

「人はお互い助け合っていきる、それはよくわかる。だが、代役がきかないとか、そんな極論で世の中が上手く回るのかと思っているとしたら、やはりアンタこそただの頭でっかちだ。その他にも存在感のない人生だとか、人の長所を盗めだとか、当たり前のことしか言ってない。そんなアンタこそ、代役が効くくらいのしがない人間にだな。実際に今のアンタは樋口一葉肖像画の役割を取られてしまっているがな(笑)」

 

第9章:自分を磨く材料はどこにでも

 

「この章は本当笑うしかないな、こんなこと言ってら。『他人のアラ探しは自分を惨めにする』『相手の中に“自分の嫌なところ”を探していないか』。それをしているのはそれこそ、こう言った自己啓発本を書くアンタみたいな人間だろ。早い話、所詮アンタの本なんてそんなもんなんだよ。克己だとか人望を得るだとか偉そうな能弁ばかり垂れて、結局アンタがアンタ自身をどのように磨いているかちっとも書かれていない。お笑いぐさだぜ」

 

第10章:自分に甘いから「泣き言」が出る

 

「よくぞほざいたな。泣かない奴や弱音を吐かない人間がいるとでもいうのか。そんな奴がもし仮にいるとしたら、まさに、人間つまり他人の痛みを知らない血も涙もない鬼畜だ。そんな当たり前のことを無視して訓戒を垂れるとは、アンタがそこまで偉い人間には、ちっとも見えないんですがねぇ(苦笑)」

 

第11章:「人間学」に通じる人のこころ配り

 

「こころ配り、という視点はいいところに目をつけていると思うが、如何せん例によって内容が浅すぎる。『相手の立場に立ってものを考える』だとか『心中の小悪魔を退治する』だとか。人間は常に戦わなきゃいけない生き物であって、そんなことアンタみたいな人間に言われなくたって、みんな経験則で学んで、一生懸命生きているんだよ。そんなことも知らずに薄っぺらなことしか言えないんじゃ、実はアンタみたいな自己啓発本を書く人間が一番間かヌケていた、という事実に他ならないな。全く、可笑しくて泣けてくるぜ」

  

第12章:自分でとことん満足のいく人生を

 

 

「残酷なこの世の中は、みんながみんな最初から最後まで幸せに生きて死を迎えるなんてありえねえんだよ。まるでこの本を取ったあなたは選ばれた人間です、とでも言いたげだな。あーもう嫌だ嫌だ。生きている内には、頑張りたくても頑張れない人やそういう環境に置かれる理不尽なことだってあるのによ。そういうこともわからない、と言うか、見て見ぬ振りしている人間が、こんな自己啓発本を書くような浅はかな人間のことなんだろうな。
もう疲れたわ。寝よ寝よ」


 結論

自己啓発本は健康かつ元気でやる気のある時に読みましょう。で、ないと、この本のような名著であっても、ワケわからないほどに自分を見失ったり、内容が全然ちゃんと通じなかったりします(笑)

 

 おしまい

無期懲役と中高生の文通【女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法】

     したい人、10000人。始める人、100人。続ける人、1人。

 

 

     普通の主婦が、人を殺めて服役中の無期懲役囚と文通をする。しかも中学生の息子と高校生の娘もまじえて文通を勧めて、その無期懲役囚から勉強方法や運動の仕方などをはじめ、様々な生き方を教えてもらうーー
    本書【女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法: 知的すぎる無期懲役囚から教わった99.99%の人がやらない成功法則】は、今時の自己啓発本としては珍しく、「成功するには地道に続けること」「人生にはやらなくてはならないことも根気よくやる必要がある」「99.99パーセントの人は自分に甘い」など、泥臭く期待を持たせるような甘っちょろい本とは、確実に一線を画している。

    著者の美達大和氏は、はっきりとした経歴は謎に包まれており、ネットなどで載っている情報も確実に正しいとは言えない。だが、この書籍情報によれば、以下の通り。


1959年生まれ。
刑期8年以上で、犯罪傾向の進んだ受刑者を収容する「LB級刑務所」に
服役中の無期懲役囚。
罪状は2件の殺人。仮釈放を放棄している。

 

    そんな無期懲役囚が医学部志望の受験生の女子高校生と男子中学生と文通をし、様々な勉強法や生き方から、筋肉の付け方や喧嘩の仕方、目を良くする方法など、10代の学生が生活していく上でいろいろな悩み相談や努力のやり方などを非常に論理的な文章で説明していく。タイトル通り知的すぎる無期懲役囚は、丁寧な言葉使いで諭すように、2人の学生に力強くメッセージを送る。
    その内容は決して甘いものではなく、また、語り口はどちらかというと若者向けとなっており(対象が中高生だから当然だが……)大人が読むと、「若い内に読んでおけばよかった」と思わせてしまう部分もある。
    確かにこの本では、美達大和氏が獄中にいるということからも、「大人になっても続けるということをしない」「周りはクズみたいな人間はかりで嫌になります」という辛辣な言葉も投げかけている。そう考えると、読む者がどうであれ、少々息苦しくなるような発言も点在する。なまじ、この本のタイトルから「自分もこの本に書いてある成功法則を学べば10000人に1人の人間になれる!」と思って本書を手に取ると、少なからず耳が痛い内容もある。
「もう自分はこの本に出てくる中高生みたいに若くないから、結局やっても意味がないのか……」
    しかし、どの自己啓発本にも言えることだが、何も本に書いてあることすべてに影響を受ける必要はないし、鵜呑みにすることもない。実際に、この本は単なる根性論だけでなく、以下のような持論も併せ持つ。一部を紹介してみよう。

 

・自信は自分の存在に持つものではない。自信を持つ対象は、自分が何かに取り組み続けたという、自分の心と行動に持つものです。

・はじめから、あるいはうまれながらにして、強固な意志をもつ人はいません。みんな、自分で、苦しんだり、悩んだり、己を叱ったりして強い意志をつくるのです。

・ずばり友人をかばうための嘘はOKです。他人を思いやるために嘘は悪くありません。嘘でいけないのは自分を守るための嘘、本当に自分を守るためだけの「ごまかし」です。これはダメです、人間が腐ります。

 

    その他、人間が生きていく上で“続けていくこと”の重要性や、自分を裏切らないことの大切さを書いているが、受験や体の鍛え方など、若い内に未来を作り上げていく基礎的要素以外の、生きていく上で本当の意味で必要なことは、むしろ大人になってから身につけていくことによって初めて自分のものに出来るものだと、私は思っている。
    経験をして身につけていかないと、人は結局誰にどんな説得力のある言葉を得ても、ただの言葉としてでしか受け取らないと思う。だから、このような大事な言葉が書いてある本でも、半ば娯楽的な意味で楽しむのも一つの生き方だとは思うし、むしろ失敗を繰り返しながら生きていくのが、本当の自分の哲学になるだろうし、何より人間らしい。だから、本書を読んで成功していないことや自分の若い頃を悔やむ必要はないと思う。
    むしろエッセイ的な構成になっているところに本書の面白さがある。殺人から自己鍛錬まで自他共に認めるほどに極端な人生を送ってきた美達氏が、どのように娑婆の中高生と文通をしているのか、そのやり取りをみるだけでも楽しめる。どのような書籍でもそうだが、間に受け過ぎたりのめり込み過ぎたりせずに、自分に出来そうなところだけ吸収して、少しずつ何かを続けていき、自分の経験を積んでいけば、きっと本当の意味でその人にとっての人生が成功出来るものになると言えるだろう。